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“街金の帝王”森下安道 洋服屋の客にトイチで貸し付けた草創期

2021年11月16日 19:00 週刊ポスト

広大な敷地に立つ森下家の墓
広大な敷地に立つ森下家の墓

進駐軍の売店で生地の仕入れを勉強

 森下安道の上京は、奇しくも1950(昭和25)年6月に勃発した朝鮮戦争特需により、日本社会が戦後の貧しさから抜け出そうとしていた時期にあたる。国内産業のメインストリームは、明治以降栄えてきた繊維業から重化学工業へとシフトしていく。一方、愛知県の漁村から東京に上った十代半ばの森下少年は自ら磨いてきた腕を生かすべく、神田の衣類問屋に働き口を求めた。上京するにあたり、森下が頼った次兄の房雄もまた、他の兄弟たちと同じく、洋服屋だったのであろう。
 
 森下は就職した衣類問屋で洋服の生地の仕入れから背広の仕立て、販売にいたるまでを学んだ。当の森下本人が自らの遠い昔話を私に聞かせてくれたこともあった。
 
「私は神田で洋裁の修業をしてきたんだけれど、まだあの頃は闇ドルが横行していてね。その洋服屋では、たしか1ドル400円くらいで闇で調達して、それを銀座にある進駐軍の売店PX(Post Exchange)に持ち込んで海外の背広の生地を買うんです。フィンテックスとか、ドーメルとか、イギリスの高級ブランド紳士服の生地だから、それを使って背広をつくれば高く売れたんだよ」
 
 米進駐軍の運営するPXは終戦後、銀座の和光や松屋に置かれていたが、ドルを持っていない日本人がそこに立ち入ることは滅多になかった。本人の回顧談。
 
「それで生地の仕入れを勉強したんです。PXで生地を多めにもらってね。金をためました」

 森下は1952(昭和27)年、神田の衣類卸問屋から独立し、「丸藤商店」という洋服店をオープンする。資本金は500万円だったというからそれなりに稼いできたのだろう。二十歳になったばかりだった。経済評論家の針木康雄が主幹を務めていた月刊「経営塾」1991年3月号のインタビューに、森下自身がこの頃のことを次のように答えている。
 
〈昭和三十年代にかけて特需関係、要するに入札ものをね。まだ二十代の頃(昭和七年七月生まれ)ですけど、神田で三、四十人使っていましたからね〉
 
〈入札もの〉とは企業向けの製造販売を指す。いきなり40人の従業員を使って店を経営し始めたわけではないだろうが、丸藤商店がそれなりに繁盛していたのは間違いない。本人によれば、やがて群馬県内に縫製工場を置き、都内に4店舗を構えるまでに事業は成長した。
 
〈しかし、たとえば、その当時あつかった小松製作所や川崎航空機とかの会社の作業服にしても事務服にしても、繊維商売というのは非常にマージンが薄い商売なんです〉

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