バブルの王様 アイチ森下安道伝
2021年12月18日 19:00 週刊ポスト
日本で初めてその保証金制度が登場したのが1960年代半ばだとされる。これが現在のゴルフ会員権制度の原型となる。メンバーとなったコースでラウンドできる権利を保証するという名目の預託金制度である。
もっとも当初の制度は、限定された数百人のゴルフ場のメンバーがプレーを楽しむための仕組みだった。それがいつしか投資目的に変わり、会員権市場が生まれて流通するようになる。そうなると、ゴルフ会員権に投資するほうもプレー権など眼中にない。ゴルフ場さえつくれば預託金が集まる。ゴルフ場のオーナーは、預託金集めのためにとてつもない数の会員権を売った。水野健がオーナーだった茨城カントリークラブは5万2000口もの会員権を乱売し、大問題となる。挙句、バブル期には1億円を超える預託金のゴルフ場まで出現した。
会員権は紙幣そのものを印刷するような感覚で発行された。世界に類を見ないゴルフ場の錬金術だ。日本で初めてそのゴルフ会員権商法を取り入れたのが、森下だったのである。
森下は1976年に新潟の上越国際カントリークラブや埼玉の川越グリーンクロスを買収したあと、「日本ゴルフ証券」という会社を立ち上げた。そこがゴルフ会員権ビジネスの発祥の場となる。
日本ゴルフ証券は正確にいえば、森下が新潟にある「有喜」という「上越国際スキー場」を経営していた会社を買収して社名を改めた会社だ。
「2億円でゴルフ場を買ったら、スキー場も買ってほしいと頼まれて仕方なくね」
森下自身がそう話していたように、有喜は上越国際CCの経営母体である帝国観光のグループ会社だった。
青木雄二作の漫画『ナニワ金融道』でたびたび登場するシーンにあるように、金融業者は融資先の会社が倒産すると債権者集会を開き、その会社の債務、権利関係を整理する。そこはまさに度胸とはったりがモノを言う世界だ。
最も力のある貸金業者が、債権者集会を取り仕切る。小さな貸金業者の債権を安く買いたたき、倒産した会社をまるごと買い取るわけだ。「企業の葬儀屋」と異名をとった森下は、その会社整理の名人でもあった。
「今なら額面100万円の手形債権を10万円で買い取ってやるぞ」
そう誘うと、不渡りの怖い他の手形割引業者はたいてい森下の提案に乗った。
有喜の経営する上越国際スキー場なども、タダ同然で手に入れたのだろう。そこを日本ゴルフ証券に改め、グループゴルフ場の上越国際CC「十日町コース」や「米山コース」のゴルフ会員権を売りだした。
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