バブルの王様 アイチ森下安道伝
2021年12月18日 19:00 週刊ポスト
そして森下はその会員権販売で得たメンバーの預託金を使い、日本全国のゴルフ場を買い漁っていく。1970年代半ばから1980年代にかけ、森下が買収したゴルフ場を挙げると、ざっと次のような具合だ。
先の新潟県の上越国際CCの2コースと埼玉県の「川越グリーンクロス」を皮切りに千葉県の「武道カントリークラブ」、神奈川県の「小田原城カントリー倶楽部」、大阪府と兵庫県の境の「阪神カントリークラブ」、兵庫県「チェリーゴルフ」の「猪名川コース」「一庫コース」「ときわ台コース」「ゆめさきコース」、同県の「川西ゴルフクラブ」「播州カントリークラブ」──。岩手県の雫石や鹿児島の志布志湾のゴルフ場も買い、買収したコースは優に十指にあまる。
これらのゴルフ場のなかには、仕手筋「コスモポリタングループ」総帥の池田保次や「日本国土計画」社長の葉山敏夫が所有していたいわく付きのゴルフ場も少なくない。森下はさらにそこから自前でゴルフ場を開発し始めた。あまり知られていないが、日本屈指のゴルフ王でもあったのである。
ちなみに森下が最初に上越国際CCを買収したときに知り合ったのが、山崎恵子だ。フジノ、京子、豊子に続いて彼女が森下の4番目の妻となる。恵子はデヴィ夫人似の豊子に負けず劣らず美人でスタイルもいい。二人は、恵子の実母が新潟で美容院を経営していた縁で出会ったという。
「このへんで髪を切ってくれるところはないか」
上越国際CCを買い取り、コースやクラブハウスをリメイクするためにたびたび新潟を訪れた森下は、社員に散髪屋を探させた。社員たちが美容院を経営していた恵子の母親を見つけ、ゴルフ場のクラブハウスまで出張して森下の散髪をするようになって娘と出会ったという。
初対面のとき恵子はまだ高校生だったが、のちに東京にあるデザイン系専門学校に通い始めた。上京した彼女が森下を頼り、ほどなくして二人は結ばれた。
ゴルフ場経営に乗り出した森下は1980年代に入り、個人向けの小口金融にも進出した。1982年5月、「アルファ」という消費者金融会社を愛知県の名古屋に設立、四谷のアイチ本社にその支店を置いた。森下が貸金業を始めて間もない頃、小口金融を主力に据えようとした次兄の房雄と袂を分かつ原因にまでなった。そのサラ金をつくった理由。それはゴルフ会員権販売に役立つという計算に加え、ライバルであり盟友でもあった武井保雄の率いる武富士の勢いを感じたからだった。
「でも、やっぱり慣れない仕事はするもんじゃないですね。仕方なくやってみたんだけど、うまくいきませんでしたなぁ」
森下自身がそう笑って話していた。もっともサラ金のアルファを立ち上げたのはゴルフ場経営や武井へのライバル心からだけではない。森下はデザイン専門学校を卒業したばかりの恵子を設立したアルファで雇い、のちに重役に据えた。アルファはのちに「アイエムエフ」、「アイ・ライフ」と社名変更され、バブル崩壊後も細々と経営を続けていった。
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