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2022年4月19日 19:00 週刊ポスト
森下自身、ゴルフに目がなく、バブル紳士たちと賭けゴルフを楽しんできた。山口組の渡辺ともいっしょにラウンドしたのか、そう尋ねてみた。が、さすがにそれは控えていたようだ。森下は言った。
「瀧澤さんとはたしかに親しかったけど、さすがに世間がうるさいからね、そんなことはできませんよ。うちのヘリは使ってもらっていたけどね」
これまで書いてきたように、1980年代半ばは森下に対するマスコミの関心が集まった時期にあたる。音響機器のアイデン倒産をはじめ、中江滋樹の投資ジャーナル詐欺やコスモポリタンによる株買い占めなど、森下の周囲では立て続けに事件が起きた。
今でこそ、反社会勢力と認定されればゴルフ場に立ち入れないが、当時は暴力団組長が子分たちを引き連れ、平気でラウンドした。といっても、さすがに山口組組長といっしょにゴルフをしているところをマスコミに報じられたら、大騒ぎになる。
おまけに血なまぐさい山一抗争の真っただ中だ。前述したように、四代目組長の竹中が愛人のマンションロビーで暗殺されたのが、上総CCオープン3カ月後の1985年1月だ。日本の暴力団史上最大といわれた抗争は、そこから1989年3月までおよそ4年にわたった。渡辺の五代目組長就任は、山口組が圧倒した抗争終盤に確実視されていたから、アイチの上総CCを行きはそのあたりの出来事だろう。
ちなみに1987年8月には、田園調布の森下邸に銃弾が3発撃ち込まれた。原因はアイチが融資していた東村山市の特別養護老人ホーム「松寿園」とのトラブルだとされ、山一抗争とは無関係だろうが、ただでさえ暴力団との関係が取り沙汰されてきたアイチにとって、山口組との接点が明るみに出てはいかにもまずい。森下自身が上総CCで彼らに付き合わなかったのは、そうした事情があったに違いない。森下に代わり、アイチの社員たちが彼らの世話を命じられた。
静岡県浜松市を根城にしてきた芳菱会総長の瀧澤は、東京にもプライベート事務所を置いていた。事務所は赤坂にあるANAインターコンチネンタル東京の裏にあり、本人は上京すると、内幸町にある帝国ホテルのスイートルームに宿泊した。
「森下会長、(若)頭が東京に来るので、悪いけどヘリを用意しといてんか」
瀧澤は森下にそう伝え、森下はアイチの社員にゴルフ接待のアテンドを命じた。ラウンドするメンバーは渡辺と瀧澤、そこにたいてい組幹部ではない紳士が加わったという。3人はボディガード兼運転手の組員たちとともに早朝6時に帝国ホテルを出て、ヘリポートのある木場に向かった。アテンド役のアイチの社員が、ヘリポートで山口組一行の乗ったベンツ3台を出迎え、いっしょにゴルフ場へ飛んだ。ヘリの飛行時間はせいぜい40分ほどしかないが、アイチの社員たちはさすがに緊張した。
「お風呂になさいますか」
初めてのラウンド後、支配人がそう尋ねたこともあったという。気をきかせたつもりなのだろう。すると瀧澤が笑い飛ばした。
「ばか、俺たちは風呂に入らないんだよ」
ゴルフ場はとうぜん貸し切りなのだが、やはり同伴の紳士に背中の刺青を見られることを気にしていたのだろう。山口組一行はゴルフを終えると、すぐにヘリで木場まで戻ってきた。そこで組員たちが出迎え、ホテルに帰った。山一抗争の終盤、そんな光景が何度か繰り返されたのだという。
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