ジャーナリストの溝口敦氏(左)とフリーライターの鈴木智彦氏
暴力団が絡む抗争事件や経済事件などはよく報じられるが、そもそも彼らはどのように稼いで生活しているのか。長年暴力団取材を行ってきたノンフィクション作家の溝口敦氏、フリーライターの鈴木智彦氏が「職業としてのヤクザ」について対談した。そのなかで、話は「ヤクザはいつ、どう辞めるのか」にも及んだ。
溝口氏は「すんなり辞められるかと言えば難しいのではないか。その場合、お金を置いていけ、と言う組が圧倒的に多い。辞めたいのなら、金を置きなさいと」「これがあるからなかなか組は辞められない」と言及。その一方で、自ら辞めるのではなく、辞めさせられるケースも少なくないという話題へと展開した。(溝口敦/鈴木智彦・著『職業としてのヤクザ』より一部抜粋・再構成。肩書きは2021年4月の出版当時のもの)
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組の金の使い込み
鈴木:ヤクザの場合、自ら辞めるのではなく、辞めさせられるケースも多々あります。絶縁や破門と言われるものです。自らカタギになるのと、カタギにさせられるのは、天と地ほども違います。ヤクザを辞めさせられるのは、このうえない恥辱です。
溝口:一番多いのは、組の金の使い込みです。例えば、その組が覚醒剤をシノギにしているのにその覚醒剤を横流ししたとか、月会費を未納しているとか、そういった金の問題が多いです。
鈴木:あとは女問題もこじれたら大変です。
溝口:例えば、自分の兄弟分が逮捕されて、服役中、兄弟分の女に言い寄って自分のものにしてしまうとか、そういうケースが重大事です。
鈴木:テキ屋には、「バシタ(女房)盗るな」という明確なルールがある。たとえ武闘派でも、このルール違反はひっくり返せません。博徒達は豆泥棒と言いますが、これは一般でも通じるはずです。以前、親分は絶対だと言うけれど、限度があるはずだとヤクザたちにアンケートを採ったことがあります。「親分が女を盗ったらどうしますか?」という質問には、ほとんどのヤクザが「殺す」と答えました。豆泥棒はヤクザの論理を超えた罪悪なんです。
あるいは抗争になったときに、誰かが責任を取らないといけないケースとか、そういうトラブルの解決法の最後の手段が破門や絶縁、引退です。
絶縁、破門、謹慎
溝口:その前に謹慎という軽いものがある。絶縁、破門、謹慎というのが重い順です。
鈴木:ヤクザは家族ですから、一番重いのは家族の縁を切るということ。親子の縁を絶ち切れば、二度と元には戻れません。それに対して破門というのは、放逐はされるけど、改心すればまた戻ってくる余地を残すニュアンスがある。その中にも赤字破門、黒字破門があり、赤字は絶縁と同じく、二度と組織に戻れませんが、ヤクザが勝手に作った新ルールです。将来、ピンクの破門が生まれないとは限らない。組織が大きくなると、こうした処分が派閥闘争に使われ、乱発されるようになりました。元来、そんな簡単に息子を放逐する親などいませんし、子分を破門できるのは親分だけです。今は盃のない組織の執行部名で、処分状が出されます。破門する権利のない人間から破門される。
溝口:それらの区別はあってないようなものですが、ひとつ言えることは、カタギを傷つけたら絶縁ということ。というのは、最近亡くなった中野太郎が率いた中野会の襲撃犯が、五代目山口組若頭の宅見勝を殺した。その向こうに歯医者がいて、流れ弾で負傷をしました。歯医者が生きてるあいだは破門で通したのが、歯医者が死んだことで、絶縁になりました。五代目組長の渡辺芳則は絶縁処分を渋っていましたが、カタギが死んだことで抗しきれなくなった。
その時点では、兵庫県警は中野会の犯行だなんて、ひと言も言ってないわけです。警察の捜査の前に、山口組の執行部がこれを処罰したわけで、きわめて私的な処罰法ということは言えます。
鈴木:破門の場合は、他の組織とマチガイが発生し、和解のテーブルで相手組織から当事者の処分を要求されたりします。たとえばこっちの不手際で相手の若い衆を殺してしまったとする。落とし前として見舞金を何千万か支払い、なおかつ、こちらの組員を殺した当事者を処分してくれ、などと手打ちの条件が出されるわけです。「黒蓋で手打ちになった」と表現されるときは、お互い、いろいろ言いたいことはあっても、無条件で手打ちすることに合意したという意味になる。黒は裁判官の法衣と同じで、もう何色にも染まりようがないからです。もし手打ち破りをしたら大問題ですが、時折あります。
