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【「山田さん」「スミスさん」「タロウ」「マイク」】日本人社員と外国人社員が一同に介する場での「呼称」問題の厄介さ

敬語を使うと失礼になる場合

 敬語や敬称は、相手への尊敬を示す言葉だとされてきたが、そうなると、次のようなケースはどう説明できるのだろうか。

 あるアメリカの会社では、社員のほとんどが白人で、部署には黒人が1人だけだった。白人の社員は、お互いを愛称(「ボビー」「メグ」)で呼び合うが、黒人の男性社員だけには敬称(「ミスター・ウィリアム」)を使っていた。これは相手に尊敬を示しているのだから、なんの問題もない──と思う者はいないだろう。

 この単純な例(とはいえ、よくあることだろう)からわかるように、マジョリティ(多数派)とは異なる扱いをマイノリティ(少数派)が受けるとき、それが敬語・敬称であっても「差別」になり得る。

 現代の言語学では、わたしたちは言葉づかいを微妙に変えることで、つねに相手との距離を調整しているとする。敬語や敬称には、相手との距離を遠くする効果(遠隔化効果)があり、これが「近づきがたい」という印象を生じさせる。相手の地位が高い(自分の地位が低い)ほど、より強い遠隔化効果をもつ言葉を使わなければならない。

 だがその一方で、敬語を使うことは、ウチとソトを峻別し、相手を自分の外側に位置づけることでもある。家族や友だちに敬語で話しかけないのは、「内輪」の関係だからだ。「敬して遠ざける」といわれるように、敬語には相手を疎外・排除する効果もある。白人社員たちから自分だけが敬称で呼びかけられたら、黒人社員は強い疎外感を覚えるにちがいない。

 言葉によって相手と正しい距離を取ることは、「ポライトネス」と呼ばれる。これを「礼儀正しさ」と訳すと敬語と同じになってしまうが、言語学では「親しさ」もポライトネスに含まれる。親しみを込めて同僚を「ボビー」と呼び捨てにするのは、英語圏では「ポライト」なのだ(*参考:滝浦真人『ポライトネス入門』研究社)。

「さん」や「ミスター」などの呼称は相手との距離を広げ、愛称や呼び捨ては距離を縮める。日本では目上の者に親称を使う(呼び捨てにする)のはインポライト(失礼)で、親しい間柄であるにもかかわらず敬称を使うこともインポライトだ。──夫婦げんかで相手を「さん」づけしたり、敬語を使うようになると、状況はかなり緊迫している。

 敬語・敬称の遠隔化効果によって相手と距離をとることは、「ネガティブ・ポライトネス」と呼ばれる。それに対して「ポジティブ・ポライトネス」は、タメ語や親称の近接化効果によって相手との距離を詰めることだ。そしていずれの用法でも、相手との距離が適切であれば「ポライト」になる。

 これで、日本とアメリカのビジネスにおける呼称の大きなちがいをすっきり説明できるだろう。

 ポリコレのコードでは、役職や(男女のような)属性にかかわらず、社内全員の言語的な距離を同じにしなければならない。そこで日本では、ネガティブ・ポライトネス(敬称)によって、社長から平社員まですべての社員を「さん」づけするようになった。それに対してアメリカでは、同じことをポジティブ・ポライトネス(親称)で行なっているのだ。──いまなら、さきほどの黒人社員は「ジム」「ジミー」などと呼ばれるだろう。

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