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「障害者」「原住民」「ブラック企業」…なぜその表記を使うのか、説明できますか?

「差別」をめぐる言葉の問題はとても複雑(イメージ)

「差別」をめぐる言葉の問題はとても複雑(イメージ)

 グローバル空間での「適切な振る舞い方」を示す「ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)」には、慎重な言葉づかいが欠かせない。もちろん、差別につながるような言葉づかいを避けるのは当然だが、なにが差別でなにが差別でないか、当事者のあいだですら意見が異なることもある。新刊『世界はなぜ地獄になるのか』で「ポリコレと言葉づかい」の関係について詳細に論じている、作家・橘玲氏に話を聞いた。

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 人種問題、ジェンダー問題、障害者問題、あるいは(被差別)部落問題など、差別問題にはつねに言葉をめぐる争いがついてまわります。

 たとえば「障害者」という言葉は、「害」の字が使われていることからたびたび議論になり、「障碍者」や「障がい者」への言い換えが試みられてきました。「障碍(障礙)」は「しょうげ」とも読み、仏教用語で「さまたげになること」とされます。「障がい」は「碍」が難読字であることから、ひらがなにしたものです。

 2010年には政府の「障がい者制度改革推進会議」で、「障害」の表記のあり方について議論されましたが、「障碍」や「障がい」に変えるべきという主張と、「障害」のままでよいという主張が対立し、意見の集約はできませんでした。

 その際、一部の識者・当事者団体が、社会の認識が変わったことで、いまでは「障害」という表記が適切なものになったと述べたことは重要です。このことは、障害の「医療モデル」と「社会モデル」で説明できます。

「医療モデル」では、病気やケガ、先天的な要因などによって「なにかをすることを(身体的・精神的に)障害されている」ことを「障害」とし、医療や科学技術(義手・義足など)によってその障害がなくなれば「正常」に戻って「問題」は解決します。

 それに対して「社会モデル」では、「なにかをすることを社会によって妨げられている」ことを「障害」と定義します。経済学者のアマルティア・センは、一人ひとりが異なる潜在能力(ケイパビリティ)をもっており、それを誰もが平等に発揮できる社会を目指すべきだと唱えました。社会モデルでは、すべての人の潜在能力を「障害」しない社会をつくることが目標になるのです。このように考えれば、「障害者=社会によって障害されている者」は政治的に適切な表記になります。

 同じように“差別語”とされているものに「原住民」があります。かつての日本が植民地の住民に対して差別的な意味で使っていたからで、「先住民」に言い換えるべきだとされますが、漢語として両者には明確なちがいがあります。

「害」とはちがって、「原」は「もと」や「みなもと」といったといった意味で差別的なニュアンスはなく、「原住民」は「もともと住んでいて、いまも暮らしているひとたち」のことです。それに対して「先住民」は、漢語では「かつて住んでいたが、いまは絶滅してしまったひとたち」の意味になります。そのため台湾では、日本統治時代に「高砂族」と呼ばれていたひとたちは「台湾原住民」で、「先住民」とはぜったいに言いません。

 このように、安易な言い換えによって(いまも暮らしている人たちを絶滅したと見なすように)かえって差別的な意味になってしまいます。「差別」をめぐる言葉の問題はどちらが正しいと決められるわけではなく、ものすごく複雑なのです。

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