ビジネス

「リベラル化」の潮流が若者を絶望に追い込み、「無理ゲー社会」を生んでいる

日本の若者を絶望に追い込んでいるものの正体は(イメージ。写真/共同通信社)

日本の若者を絶望に追い込んでいるものの正体は(イメージ。写真/共同通信社)

 作家・橘玲氏はベストセラーとなっている最新刊『無理ゲー社会』で、現代社会では人生が極めて攻略困難なゲーム(無理ゲー)となり、「生まれてくるんじゃなかった」と絶望する若者が増えているという実態を明らかにした。なぜ、そんなことが起きているのか。その背景を橘氏に聞いた。

 * * *
「将来に対する不安が大きすぎて、早く死にたい」(埼玉県・20代)
「未来に絶望しかなく、どうせ年金受給の年齢が延ばされるのなら、60歳くらいで両親ともども命を絶ちたい」(兵庫県・30代)
「早く安楽死の合法化と自由に自殺できる制度がほしい」(埼玉県・30代)

 これらは、参議院議員の山田太郎氏が「不安に寄り添う政治のあり方勉強会」(参議院自民党)のために、SNSを通じて募集した若者たちの声だ。投稿が寄せられたのはコロナ前(2020年1月)だったが、日本の若者たちは将来に大きな不安を抱え、「苦しまずに自殺する権利」を求めていた。

 ゲームマニアの間では、攻略が極めて困難なゲームを「無理ゲー」と呼ぶ。いま、多くの人たちが「無理ゲーと化した社会」に放り込まれている。若者たちの声からは、そうした現実が浮かび上がる。

 そんな事態を招いた一因として、世界的な「リベラル化」の潮流がある。

 ここで言う「リベラル」とは、「自分の人生は自分で決める」「すべての人が自分らしく生きられる社会を目指す」といった価値観のことで、1960年代のアメリカ西海岸で生まれ、またたく間に世界中に広まった。この理想はもちろん素晴らしいが、光があれば闇もある。現実には、「自分らしく生きられない」と、生きづらさを訴える人が急激に増えている。

 数百万年の人類の歴史のほとんどにおいて、人間は生まれ育った共同体に拘束されていた。それがいきなり途方もない「自由」を手にした結果、経済格差だけでなく性愛格差も広がっている。

 1950年代までのアメリカでは、地元の教会の集まりなどで若い男女が出会い、結婚するのがふつうだった。だが都市化が進むにつれて中間共同体は機能しなくなり、自分で恋人を見つけなくてはならなくなる。

 その後、恋愛の自由市場化がさらに進み、一握りの恋愛強者と大多数の弱者に分断されるようになった。これが「モテ/非モテ」問題で、日本だけでなく世界的な現象だ。

関連キーワード

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。