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黒田東彦日銀総裁に差していた「後光」の正体

 アベノミクス相場の立役者とされる日銀の黒田東彦総裁。「黒田バズーカ」とも称される金融緩和で2012年12月以降、株価は大きく上昇し、その手腕を評価する向きも多かった。しかし最近、その評価に変化が生じているという。かつて米証券会社ソロモン・ブラザーズの高収益部門の一員として活躍した赤城盾氏が解説する。

黒田日銀はどうなってしまったのか

黒田日銀はどうなってしまったのか

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 2013年3月に日銀総裁に就任した黒田東彦氏は、直後の4月に異次元と自賛する規模の量的質的金融緩和政策を実施、さらに、2014年10月には誰も予想していなかったタイミングで追加緩和を決定した。この2回の金融緩和は、ともに市場に対して“バズーカ砲”と呼ばれたほどの威力を発揮して、急速な円安と株高をもたらした。

 安倍内閣は2012年12月の発足以来6本の矢(※)を放ったことになっているが、実際に効果を顕したのは金融緩和だけである。黒田総裁こそは、いわゆるアベノミクス相場の立役者であり、我が国で株式や外貨に投資する者たちにとっては、希望と崇拝を一身に集めて輝くご本尊の如き存在であったといってよかろう。

【※6本の矢/アベノミクスの“3本の矢”とは、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」。2015年9月には“新3本の矢”として「希望を生み出す強い経済」「夢を紡ぐ子育て支援」「安心につながる社会保障」が発表された】

 しかし、その“後光”は昨年後半から急速に薄れている。今年1月のマイナス金利の導入発表と4月の緩和見送りが立て続けに大暴落を招いた今となっては、むしろ疫病神の感すら漂わせる。

 いったい、黒田日銀はどうなってしまったのか? 金融政策の根本に立ち返って考えてみたい。

 現在の日銀が採用している量的緩和は、非伝統的な金融緩和政策と呼ばれている。余りにも長くデフレとゼロ金利が続いた我が国では忘れられかけてしまっているかもしれないが、元来、金融政策とはプラスの金利を上げ下げして行なうものなのである。

 金利を下げれば、家計は預金を控えて消費を増やし、企業は借金をして生産を増やす。これが金融緩和が経済成長を促すロジックであり、その効力は名目金利がゼロに近づいたところで終わるのだと黒田総裁就任以前の日銀は主張していた。

 黒田総裁が推進した量的緩和は、名目金利はゼロのままであっても、物価を上昇させることによって実質金利を低下させ得るという、仮説に基づく政策であった。

 実際は、日銀がどんなに銀行から国債を買い上げても、物価の上昇は限定的で円安の転嫁分に留まった。企業の借り入れ意欲は刺激されず、銀行は国債を売って得た代金をそのまま日銀に預けておくほかはなかった。

 要するに、黒田総裁の壮大な実験の結果は、今のところ、量的緩和は我が国の実体経済には効かないという、日銀の年来の主張が正しかったことを示している。

 ただし、黒田総裁は、海外の投機資金を、猛烈な円売り日本株買いに誘い込むことには成功した。

 彼らは、実体経済に関する不確かな論争には頓着しない。FRB(連邦準備制度理事会)のバーナンキ前議長による大規模な量的緩和がリーマン・ショックに打ちのめされていたアメリカ経済にドル安と株高の恩恵をもたらしたという経験則に基づいて、素早く行動した。条件反射的に、「量的緩和は買い」なのだ。

 詰まるところ、黒田総裁に差していた“後光”の正体は、株価が下がれば必ず追加の緩和で応えてくれたバーナンキ前議長の残照であった。

※マネーポスト2016年夏号

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