ライフ

養老孟司氏「人間は“不要不急”の存在。それでも人生に意味がある」【#コロナとどう暮らす】

 しかし生きている限り、誰しもが社会から存在の意味を認められたい。だから少しでも若さを保とうと、アンチエイジングにも励むのです。それでも、遅かれ早かれ、みんな行き詰まってしまう。

 しかしこの見方は一元的なものに過ぎません。山や谷川に行けば、石がゴロゴロと転がっている。木の根元を掘れば、さまざまな虫が見つかります。鹿に熊、花には蝶。彼らは一切、経済的利益を生み出していません。だけどそこに存在している。

 実は人間も同じです。これまでは“自分には意味がある=経済的利益を生み出している”と思い込んでいただけで、目先を変えて自然界から眺めれば、そこにはまったく意味などありません。

 コロナ禍に人々は苦しんでいますが、自然界から見れば、空気も水もきれいになった。昆虫からしたら、この状況を大歓迎していることでしょう。

 つまりわれわれ人間は、経済的利益を生み出せなくなったから意味をなくすのではなく、もともと、“誰もが不要不急の意味のない存在”なのです。それどころか、自然界にとっては迷惑な存在でしかない。若さや老いは関係ありません。

「成熟」とは、言い換えれば「自分で考えて決める」ということです。

 コロナによって、これまでの社会は一変しました。すると、状況状況で、自分で判断しなければいけなくなる。これが結構面倒です。「ルールがあったほうが楽だ」ということになって、国や自治体に「決めてくれ」と言い出す。そして今度は「あいつはルールを破った」と非難し合う。いま、求められているのは、「自分で考えて決める」ことです。状況状況で、判断すればいいのです。

 もちろん、外に出れば、どんなに注意を払っても、コロナがうつる可能性はあるでしょう。しかしそれとて、お互いさまです。生きているだけで迷惑な存在同士、そうやって折り合いをつけていくしかない。

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。