中川淳一郎のビールと仕事がある幸せ

多摩地区の交通の要衝として人気の街・立川、出身ライターが振り返る“怪しさ満点”だった時代「闇夜に厚化粧の老婆が浮かび上がって…」

目覚ましい発展を遂げ、人気の街となった東京・立川

目覚ましい発展を遂げ、人気の街となった東京・立川

 今や人気の街となっている東京都立川市。各種ランキングでも「家賃が安いのに便利」と評価され、立川駅はJR中央線の新宿以西での乗降客数はトップで、吉祥寺をもしのぐ。多摩都市モノレールも走っており、多摩地区の交通の要衝だ。そのうえ、IKEAや伊勢丹があるなど、買い物にも不自由しない。これだけの要素が揃っていれば人気なのも理解できるが、かつての住民からすれば驚きの変貌なのだという。立川出身のネットニュース編集者・ライターの中川淳一郎氏(50)が、かつての立川の“怪しさ”を振り返る。

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 ここ15年程の立川のイメージ向上については、立川市役所を含め、各種商業施設の努力に本当に敬意を表します。いやはや、見事な発展ぶりで、街のイメージがガラリと変わったと、立川出身である私からすると思うのですね。何しろ私が小学生の時(1984年)、山の手に住む親戚に、父親が「立川に引っ越した」と伝えたら、こう言われたのですから。

「なんでそんなガラの悪い街に住むの? 立川なんて、小岩と蒲田と並んで“東京3大極悪エリア”じゃないのよ」

 今ではこれらの街すべてが、“住みたい街”として人気になっていますが、こんなことを言う人がいた時代があったのです。実際私自身、親戚の発言に対しては「何も言えねぇ……」といった感覚がありました。何しろ、当時の立川の中学校ではバイクが学内の廊下を走っていたという話やら、『熱笑!!花沢高校』的な中学・高校同士の抗争が日々取り沙汰されていました。「○○中のヤツは鼻の穴に割り箸を刺して折るリンチをする」といった物騒な話までされていました。

 その○○中と抗争をしていたという戦闘力の高い××中から、私の通っていた公立中学に転校生(女子)がやってきた時は「あいつは××中の番長の女だったが、どうやら捨てられてオレらの中学に転校してきたらしい」なんてことがまことしやかに噂されていました。今から考えると、ひどい話です。

 私の学校は立川駅を挟んで北側だったのですが、南側は危険地域であるという認識があり、先生からも「南口に行ってはいけない」と言われていました。南口は場外馬券場があり、呑兵衛が集うような店が大量にあり、バラック小屋的雰囲気もあった。北口はそれなりに最新デパートはあったのですが、南口は戦後の闇市的雰囲気が残っていて、子供ながら恐怖感がありました。

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