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ビジネス

USスチール買収の日本製鉄・橋本英二会長の高校時代 秀才と評判だった“人吉の曹操”がアメリカに夢を抱き、鉄鋼業界に飛び込むまで

1973年の豊かなアメリカ

 ただ、渋谷が持ち帰ったのは、物質的な豊かさへの憧憬ではなかった。授業では現地の英語が聞き取れずにつまずいたが、数学で板書された問題を解いて見せた途端、級友の眼差しが敬意に変わって打ち解けた。

 夏休みに海に行くのに、スコットは父の会社の窓拭きのアルバイトで旅費を作るというので、渋谷も一緒に働いた。夜中に勉強をしていたら、スコットの父から「夜は寝る時間だ」と叱られ、朝寝坊をしたら、洗面器の水をぶっかけられた。後始末で床を拭いていたら、スコットの父も一緒に手伝ってくれた。

 スコットの祖父母は広大な牧場を持ち、「浩一の馬だ」と一頭をあてがってくれた。猟銃を持たされた渋谷は、兎を追って日が暮れ、シャワーを浴びれば鞍で擦りむけた尻がひりひりした。豊穣な暮らしに、高潔な精神や勤勉さが宿る。そんな「1973年のアメリカ」を聞くうちに、トランプが復活を唱える「偉大なアメリカ」とは、例えばこんな光景だったかと思えてくる。

 帰国後、京都大学に進学した渋谷は大学院を経て日本鉱業(現・JX金属)に就職した。動機は「資源が少ない日本は必ず外国の鉱石が必要になる」だった。他方の橋本は、先に新日鉄に入った。志望の商社に内定をもらっていたが、その後に見学した製鉄所で「鉄鋼業は重いものを背負っている」と感じて行き先を変えた。40歳から海外営業に携わった後、経営トップとして米国事業に夢を描いた。

 人吉から出て基幹産業に身を投じたこと、アメリカに夢を見たこと。偶然だったにせよ、2人の軌跡は響きあう。実際、渋谷も世界を飛び回るはずだった。そうならなかったのは、20代で命を落としたからだ。

 2つ目の赴任先だった豊羽鉱山(札幌市)で採鉱チームの主任を任された1986年1月の夜、通気の不調を聞いた渋谷は、高温の立坑に1人で入り、事故に遭った。カナダへの転勤を控えた、29歳。その早過ぎる訃報を、橋本は渋谷の父からの便りで知った。文末に追悼の文章を募る一文があったが、橋本は、「俺は送れなかった。あまりにもショックで。神様は残酷だなと思った」と振り返った。

 10代の渋谷を刺激したアメリカには輝きがあった。旧友の橋本が半世紀後に描いた日米協力にもそんな輝きが灯るだろうか。

 * * *
 マネーポストWEBの関連記事『《独走レポート》日本製鉄・橋本英二会長、USスチール逆転買収を導いた“鉄の交渉人”の原点 トランプ大統領を翻意させるまでのディールで、なぜ彼は折れなかったのか』では、橋本会長が母校で語った「アメリカ観」や、USスチール買収後に見据えるその先の展開などについてもレポートしている。

【プロフィール】
広野真嗣(ひろの・しんじ)/ノンフィクション作家。神戸新聞記者、猪瀬直樹事務所スタッフを経て、フリーに。2017年、『消された信仰』(小学館文庫)で小学館ノンフィクション大賞受賞。2024年刊の『奔流 コロナ「専門家」はなぜ消されたのか』(講談社)が科学ジャーナリスト賞2025優秀賞を受賞、大宅壮一ノンフィクション賞最終候補作に。

(第3回に続く)

※週刊ポスト2025年7月11日号

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