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ビジネス

暴力団取材のプロである溝口敦氏、鈴木智彦氏が「ヤクザと仕事」を語り合う 三代目山口組の田岡一雄組長は「正業を持て」の考えだった

「正業を持て」

溝口:一方、かつて三代目山口組組長の田岡一雄は、組員たちにしきりと「正業を持て、正業を持て」と言っていました。田岡はそれまでのヤクザと違い、働くことを良しとする考え方だったんです。

 しかし、そこの若い衆で割と有名だった山本次郎というヤクザがいた。山次組という組を率いていた組長で、「殺しの次郎」と言われるぐらい恐れられていた人物ですが、彼だけは田岡に願い出て、「組事務所に出ると生活できませんから、辞めさせてください」と言い出した。すると田岡は、「ならお前はいい」と免除した。あの田岡をして、山本次郎だけは例外とするところに、ヤクザの価値観みたいなものがある。

 田岡の考え方の根底として、今でこそ山口組は博徒の集団と名乗ってはいるが、本当にそうだったのかという疑問がある。違うんですよね。博徒ではなかった。

 山口組の中にも、博徒系組織がいるにはいるが、もともとは、神戸港の沖仲仕とかそれを差配する手配師、あるいは神戸中央市場で野菜を引いていたとか、そういう雑多な働くヤクザのグループだった。

 そのなかで、山口組を全国組織にした三代目組長の田岡は、江戸時代の侠客、幡随院長兵衛を尊敬していました。幡随院は、浅草で口入屋(人材派遣業)をやっていた。子分はいましたが、金は自分で稼いでいたわけで、子分の金で飯を食ったことは一度もなかった。そういう考え方が田岡にもあったから、子分たちにも正業を持て、つまり自分の食い扶持は自分で確保しろ、と言っていたわけです。

鈴木:兵庫県警が編纂した「山口組壊滅史」には、山口組は手配師から浪曲の興行へと進出し、田岡の時代に興行暴力団となったとあります。田岡も港湾荷役の他、芸能興行という正業を持っていたわけです。裏のシノギは、どこまでも逮捕されるリスクがあるけど、表の仕事にはそれがない。

 面白いことに、山口組に限らず関東の稲川会や住吉会など、広域暴力団の多くは自らの出自を博徒系だと誇ります。やはり、暴力団の保守本流は博徒であるという意識があるんです。

【プロフィール】
溝口敦(みぞぐち・あつし)/1942年東京都生まれ。早稲田大学政経学部卒業。ノンフィクション作家。『食肉の帝王』で2004年に講談社ノンフィクション賞を受賞。主な著書に『暴力団』『山口組三国志 織田絆誠という男』など。

鈴木智彦(すずき・ともひこ)/1966年、北海道生まれ。日本大学藝術学部写真学科除籍。ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代BULL』編集長を務めたのち、フリーに。著書に『サカナとヤクザ 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(小学館)などがある。8月22日19時から、マネーポストWEB「プレミアム会員限定」ライブ動画配信『《司忍組長の内部資料も公開》ヤクザとマネー~最強組織・山口組のビジネスモデル~』に登場予定。

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