うぎゃー!会計を見て凍りつく
このようなことを思いつつ、それまで出会ったこともない華やかな女性に囲まれながら、私は「これが社会人というものなのか……」と若干の感慨を覚えたのです。キャバクラの意味はわからないままでしたが、未知なる体験をできたという点では「あぁ、社会人になったんだな」と思ったのも事実でした。
しかし、時間延長を経て、会計の段になって、私は凍り付きました。なんと、6人で会計が27万円だったのです。1人当たり4万5000円! うぎゃー、オレ、財布に8000円しかない! 後から考えれば、歓迎会という主旨からして、最初から先輩方も私に払わせようという気はなかったのですが、とはいえ、私は動揺しました。固まる私をヨソに、部長は平然とカードで27万円を支払う。先輩方は慣れた様子で「部長、ありがとうございます!」とさっさと“ゴチ”になっています。
私の顔面蒼白ぶりを見た先輩は、「お前の会員カードも作っておいたぞ、ほれ」と店のカードを渡してくれました。しかし、「こんなカードがあると、店に頻繁に行かざるを得なかったり、営業電話がガンガンかかってきたりするのではないか?」と勝手に恐れた私は、「そんなカード、いりません!」と抵抗しました。それでも先輩は強引に私のジャケットの胸ポケットにカードをねじこみ、「行くぞ!」とそのまま一緒にタクシーに乗り、家まで送ってもらったのでした。
なぜわざわざ女性が行かない店を選ぶのか?
その後も、同僚や取引先と一緒に地方出張に行くと、地元の人からキャバクラに連れて行ってもらうこともよくありましたが、これにも違和感がありました。一次会は男女一緒なのに、二次会のキャバクラに行くとになると、女性は全員帰らされる。その流れはどの出張でも同じで、私は常々「ここからは女はいらない」といった意思表示がキャバクラに込められているのかな、と思っていました。
同じ仕事をする仲間なのに、なぜ女性が行かない店を選ぶのか? その謎はいまだ解けないままですが、おそらくは“意思決定権をもつ者が男性に多かった”という時代背景のもと、男性社員にゴマを擦っておいたほうが得策だと皆が思っていたのだろう、と推察します。
さて、すっかりキャバクラとは縁がなくなった今、自分が20代~30代の時に経験した“ビジネスマンのキャバクラ接待”にはどんな意味があったのだろうか? と思うことしきりです。
もちろん、自分のお金で通う人は好きにしたらよいのです。ただし、会社の「経費」で、かつ「相手も喜ぶ」と信じ、接待の場としてキャバクラを選ぶのが“当たり前”だったあの時代、違和感を抱いていた同志はいないものでしょうか。今の若者の「キャバクラに行く意味が分かりません!」というセリフには、“やっと堂々と言える時代が来たのだな”と、私が新入社員の頃に抱いた感慨とは別の感慨をおぼえる次第です。
【プロフィール】
中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう):1973年生まれ。ネットニュース編集者、ライター。一橋大学卒業後、大手広告会社に入社。企業のPR業務などに携わり2001年に退社。その後は多くのニュースサイトにネットニュース編集者として関わり、2020年8月をもってセミリタイア。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)、『縁の切り方』(小学館新書)など。最新刊は稲熊均氏との共著『ウソは真実の6倍の速さで拡散する』(中日新聞社)。