掃除ロボットという新しい市場をゼロから創造
ここで、アイロボット社が成し遂げた功績について、改めて称賛の意を表したい。1990年、マサチューセッツ工科大学(MIT)のロボット研究者たちによって設立されたアイロボット社は、当初は宇宙探査や防衛用ロボットの開発を行っていた。しかし、創業者のコリン・アングル氏たちは「実用的なロボットを日常の中に普及させる」という高潔な理念を持ち続けた。2002年にルンバが登場するまで、家庭用ロボットなどSF映画の中の話に過ぎなかった。
アイロボット社は、何もない荒野に道を作り、掃除ロボットという新しい市場をゼロから創造したのである。円盤型のロボットが床を掃除するというスタイルを定着させ、世界中の家庭から「床掃除」という労働を解放した功績は計り知れない。20年以上にわたり業界をリードし、技術を磨き続けてきた姿勢は、ものづくりの精神そのものであった。
しかし、どれほど優れた理念と技術があっても、経済合理性を無視した政治的介入の前には無力であった。規制当局が「仮定の害悪」を根拠に救済合併を阻止した結果、皮肉にも中国企業への身売りという、当局が最も避けたかったはずの「技術流出」を招いてしまった。消費者を守るはずの規制が、消費者に愛された企業を殺したのである。
「米国のロボット企業を箱に詰めて中国に差し出した」
この結末は「政府の失敗」の典型例と言える。アマゾンによる買収を通じてアイロボット社は再生し、新たなイノベーションを生み出していたかもしれない。あるいは、関税という障壁がなければ、コスト競争力を維持できていたかもしれない。
複雑な制度や過剰な規制、そして恣意的な徴税は、往々にして意図せぬ悲劇を生む。経済は生き物であり、上からの統制で思い通りに動かせるものではない。企業が自由に活動し、失敗し、あるいは救済される道を閉ざすことは、経済全体の活力を削ぐ自殺行為に等しい。
これからの世界では、イノベーションの主導権がどこに移っていくのか。アイロボット社の破綻は、西側諸国が抱える制度疲労と、自由経済を標榜しながら自らの手で首を絞める矛盾を、冷徹に突きつけている。特定の輸入品を狙い撃ちにする関税や、企業の合併を恣意的に止める規制は、経済の血流を止める血栓のようなものだ。
アングル氏はこの結末について「世界のロボット掃除機のほぼ全てが中国資本の製品になる。リナ・カーン前委員長のFTCが米国のロボット企業を箱に詰めて中国に差し出したようなものだ」(日経新聞、12月27日)と述べた。
国を守るつもりが、結局、中国が笑うというのでは、ブラックジョークでしかないだろう。
【プロフィール】
小倉健一(おぐら・けんいち)/イトモス研究所所長。1979年生まれ。京都大学経済学部卒業。国会議員秘書を経てプレジデント社へ入社、プレジデント編集部配属。経済誌としては当時最年少でプレジデント編集長就任(2020年1月)。2021年7月に独立して現職。