青切符(政府広報オンラインより)
反則金を科す前に行政がやるべき仕事がある
興味深い現象がある。かつて、子どもが言うことを聞かないからといって、行政に対して「ゲームを禁止してほしい」「スマートフォン利用を制限してほしい」と求めていた一部の大人たちがいた。現在進行中の厳しい取り締まりは、自ら管理を求めた層にそっくりそのまま返ってきたカウンターパンチのように見える。
家庭内の問題を行政の力で解決しようとすれば、やがて行政は大人たちの日常生活にも同じように介入してくる。国家権力による規制強化は、常に慎重でなければならない。「取り締まりを厳しくすれば社会の問題がすべて解決する」と思い込む論理は、「子育て支援にお金を配れば少子化が解消して出生率が増える」と短絡的に主張することと同じくらい、人間の複雑な生活を無視した浅はかな考え方である。
反則金を科す前に、行政がやるべき仕事があるはずだ。国土交通省の資料によれば、全国の自転車通行空間の整備延長は約4686キロメートルにとどまる。しかも、大部分は車道に矢羽根のマークを描いただけの混在型であり、縁石などで物理的に分離された安全な自転車道はわずか256キロメートル、全体の5.5%にすぎないという低水準である。歩行者、自転車、クルマできちんと分離帯をつくった上で規制する海外諸国と日本の大きな違いだ。
安全な道を用意しないまま、「ルールを守れ」「少しでもはみ出したら反則金だ」と市民を追い詰める。自転車道の整備モデル地区では事故密度が26%も低下したという明確な効果が確認されているにもかかわらず、お金と時間がかかる道づくりを後回しにし、手軽な罰則強化に逃げているのが現在の姿である。
2026年4月に始まった制度の最も危うい点は、市民を未熟な存在とみなし、細かく指導しようとする過度なおせっかいにある。日本中には、狭い路地や入り組んだ商店街など、複雑な道路事情が無数に存在する。人々は長い時間をかけて、場所ごとに適した「自発的に生まれた秩序」を築いてきた。交差点で視線を交わして譲り合い、歩行者の動きに合わせてそっと速度を落とす。文章になった規則ではなく、地域に暮らす人々の暗黙の了解によって柔軟に安全を保ってきた知恵である。
国家が個人の生活に細かく介入することを許せば、社会全体が息苦しさに包まれていく。警察官が街角に立ち、市民の些細な行動まで監視する風景は、自由な社会の姿とは程遠い。ルールを守ることは大切であるが、ルールのために人間の生活が犠牲になっては本末転倒である。
万が一事故を起こせば、当然ながら民事上の責任を負い、保険で被害者を救済する仕組みを利用する。大人は自分の行動に自分で責任を持つのが基本である。すべての細かな違反行為を警察という巨大な権力が直接裁くようになれば、市民同士で問題を解決し、自発的に秩序を作る地域社会の出番は失われてしまう。
隣人同士が言葉を交わして注意し合うのではなく、互いを監視し合い、すぐさま権力に頼るギスギスした社会が訪れる。私たちが心から守るべきは、目先の管理された安全だろうか。否、個人の自由と地域社会の自律性という、失ってしまえば二度と取り戻せない貴重な価値である。罰則で人を縛り付ける社会は、短期的な数字の改善を見せるかもしれない。しかし、長期的には市民の主体性を奪い、社会全体を脆弱にしてしまう。便利で手軽な厳罰化という甘い罠に決して流されてはならない。一人ひとりが自分の頭で考え、地域で対話を重ねることこそが、安全で豊かな社会を築く確かな道である。立ち止まって深く考えるべき時期が来ている。
【プロフィール】
小倉健一(おぐら・けんいち)/イトモス研究所所長。1979年生まれ。京都大学経済学部卒業。国会議員秘書を経てプレジデント社へ入社、プレジデント編集部配属。経済誌としては当時最年少でプレジデント編集長就任(2020年1月)。2021年7月に独立して現職。
