トヨタ自動車の名誉会長、豊田章一郎氏が日経新聞の名物コラム「私の履歴書」の連載を始めたのは平成26年(2014年)4月1日からだった。
29回にわたった連載の中、ハイブリッド車「プリウス」を成功させ、いわば“世界のトヨタ”に仕立て上げた最大の功労者、奥田碩元社長(当時、相談役)の名前がほとんど登場しなかった。当時、豊田家の直系にして、章一郎氏の長男、章男氏が社長となって5年。ようやく“章男カラー”のトヨタが動き出そうとしている時でもあった。
章一郎氏の連載はいうなれば、豊田家による「トヨタ史」の作成に他ならない。それは、豊田家による、世界最大の自動車メーカー「トヨタ」の継承を正当化するものでもあった。
そして、章男氏の社長在任も10年を迎え、その後継問題が業界のみならず財界で取り沙汰され始めた。
その意味で昨年11月、幹部人事を刷新し、常務役員などのポストを廃止、40代でも要職につけるとするトヨタの発表は衝撃的だった。この人事は章男氏が寵愛し、「次の次」への継承を想定していると言われる長男、大輔氏をいち早く昇進させるのが狙いだ、とする見方が大勢だった。