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「エルメスのバッグからドルの札束を鷲掴み…」 ロッキー青木の妻が見た“バブルの王様”ファミリーの豪快ショッピング

気球での太平洋横断も話題となったロッキー青木(時事通信フォト)

気球での太平洋横断も話題となったロッキー青木(時事通信フォト)

 アメリカ日本食ブームの立役者で、鉄板焼きレストラン「Benihana of Tokyo」を米国で展開して大成功を収めたロッキー青木とその妻・青木恵子は、揃ってアメリカ社交界の有名人だった。その妻・恵子が、当時、街金融・アイチを率いて“バブルの王様”と呼ばれた森下安道(1932-2021)と古くから交友があったことはほとんど知られていない。『バブルの王様 森下安道 日本を操った地下金融』を上梓したノンフィクション作家・森功氏が、恵子本人の証言から振り返る。(文中敬称略)

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 1956(昭和31)年生まれの恵子は、山脇学園短期大学のバスケット部時代に東京都のミスコンテストに応募して優勝した美貌の持ち主だ。日本の短大からハワイ大学に入り直して卒業し、ニューヨークに住んで毛皮店でアルバイトを始めた。

 恵子はそこから独立し、もっぱら日本人の富裕層を顧客として、洋服店を経営するようになる。今でこそ環境保護問題で下火になった米国産のミンクやフォックスの毛皮は、当時日本で買えば、1000万円以上する高級品も珍しくなかった。それが米国なら驚くほど廉価で、日本の15%ほどの値段で買えた。最高級品でも200万円もしない。そこに目を付けた恵子が、米国の毛皮を日本人に売って上客をつかんだ。その一人がほかでもない、森下なのである。

 森下にとって恵子は、4番目の妻と同じ名であり、奇縁を感じたのかもしれない。彼女を気に入った森下は家族旅行でニューヨークに足を延ばすと、3人の娘たちに店でいちばん高い毛皮を買い与えた。

 この旧姓小野恵子は、のちに青木廣彰と結婚する。廣彰はニューヨークの鉄板焼きレストランを経営して大当たりさせ、ロッキー青木と名乗ってきた。1964年、日本橋の洋食「紅花」を鉄板焼きレストラン「BENIHANA OF TOKYO」に衣替えして米国に出した。ヒルトンホテル会長のバロン・ヒルトンとの知遇を得て、やがて全米で日本食レストランチェーンを展開し、ヒットさせる。

 その青木と恵子が結婚したのは2001年7月のことだが、1980年代半ばのこの頃、森下もまたロッキー青木と知り合う。

 ちなみに青木夫妻はドナルド・トランプとも親しかった。恵子は2016年5月放送のTBS「世界の日本人妻は見た!」に出演し、トランプと食事している写真を公表した。2008年7月に他界した夫君のあとを継ぎ、ベニハナグループを率いてきた。

 トランプタワーを拠点にした森下は、こうした数々の出会いを経て人脈を広げていった。青木恵子と会うことができた。

「まだ私がニューヨークに行ったばっかりの頃でした。私が覚えている森下さんは、トランプタワーを買われ、部屋をリノベーションして使われていました。奥様と3人の娘さんを連れ、ニューヨークによくいらしていました」

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