「最期に笑顔でいられるか」の分かれ目とは(写真:イメージマート)
人は必ず死ぬ。どんな人生を重ねようと、これだけは平等だ。ただ、最期の迎え方は、それぞれに違う。在宅医療に携わり、これまで約500人の看取りに立ち会った心越クリニック・岩間洋亮理事長は次のように語る。
「死そのものに、いいとか悪いとかはないけれど、そこにいたる過ごし方によっては本人の感情や、遺された人が受け取る心の安寧に差が出ます」(以下「 」内は岩間医師)
老老介護はプロの助けなしではうまくいきようがない
岩間医師の関わったケースから「満足な最期」と「残念な最期」を分ける境界線を見ていく。都内在住、87歳のAさんは数年前に自宅マンションで妻を看取った。80代になってパーキンソン病の症状が出はじめた妻に付き添い、病院通いをするAさんだったが、本人に介護や医療に関する知識はなく、見かねた病院スタッフが介護サービスの利用を促した。ところがAさんは頑として受け付けなかった。
「特に男性に多いのですが、“妻の世話くらい他人の手は借りたくない”と突っぱねる人がいます。本当に世話ができれば問題はないけれど、そんなわけにはいかない。特にお互いの体力が衰えている老老介護はプロの助けなしではうまくいきようがない」
ある日、自宅のリビングで倒れている妻を発見したAさんは、慌てて救急車を呼んだ。駆けつけた救急隊は妻の呼吸が止まっていることを確認。近くの救急病院に搬送され、死亡が確認された。
「このような場合、亡くなった経緯を説明できる医療関係者がいないと、遺体は不審死扱いになることがあります。Aさんの妻は最後の通院が半年ほど前だったこともあり、直接の死因がわからず、遺体は行政解剖されることになりました」
遺されたAさんはそれまでの自分自身を振り返り、反省もしたのだろう。病院関係者の勧めに従って、医療・介護のサービスを受け入れた。
「そこから私たちが介入することになりました。その時点でAさんの年齢は80代の半ばを過ぎていました。認知機能、身体機能ともに衰えが見られ、介護認定の結果も要介護3となりました」
続いて、Aさん夫婦とは対照的なケースを見てみよう。
