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中川淳一郎のビールと仕事がある幸せ

会話や議論を一言で終わらせる「人による」「ケースバイケース」話法への怒り

それを言われると…(イメージ)

それを言われると…(イメージ)

 人が何か意見を述べる時は、何らかの主張・自分なりの発見がある時だ。質問をする時は相手の意見を聞きたい時。しかし、「たった一言の返答が、会話や議論をすべて終わらせてしまうことがある」と苦々しく語るのは、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏だ。中川氏によると、その一言は「人による」「ケースバイケース」だという。いったいこれらの言葉のどこに問題があるのか、中川氏が解説する。

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 これまで私は、様々な業種の人と付き合ってきたのですが、その実感のひとつとして「90年代の経営コンサルタントと広告マンは、青いシャツをよく着ていた」というのがあります。飲み会でそれを口にした時、「そういう人もいるというだけの話」「人による」と言ってくる人がいるんです。

 たとえば「オランダ人は背が高い」や「高知県の人は酒が強い」であれば明確なデータがあったり、定説になっているため「そうだよね」となる。しかし、両方がない場合は必殺「人による」が炸裂! そして「人による」と言うと、すべてが終わってしまうんですよ。

 そんなものはこちらだってわかってる。「人による」ことは前提のうえで、「そういった傾向が強いのではないかと私は思っている」と意見を述べている。それに対しては「私も同感」か、「いや、それは違う」のどちらかの意見を述べれば、建設的な会話が広がっていくんですよ。所詮、「青いシャツの人が多い」程度の議論を真面目にする気もないのですが、飲み会のネタとして「広告会社の人もいるから意見を知りたいな。まぁ、コレで各業界『あるあるファッション』みたいな話になったら面白いな」程度の気持ちで言っただけなのに、「人による」が来る。もうこれで終了です。

 困ったことにこの話法って、何にでも使えるんです。「今年は暑いですね」→「人による(暑さに強い人もいる)」。「不景気だなぁ~」→「人による(景気の良い人もいる)」。「○○さん、あの話題の映画見たんですよね、面白かったですか?」→「人によりますね~(面白いと感じる人もつまらないと感じる人もいるのにそんな質問するな!)」──このようになったらもう会話は終了です。

 先日、私が「日本は根拠不明の空気に皆が従い、その空気が消えたら終了。2005年、クールビズ導入初日は大抵ネクタイしていたんじゃね?」とツイートしたところ、「そういう人がいたというだけ。著名な○○先生は、短パンで講義をしていた」というクソリプが来ました。

 ここで私が述べているのは、「日本人は周囲から浮くのを恐れる傾向があるから、クールビズ初日でも『様子見』でとりあえずネクタイをして通勤した人も多かったのでは? 空気を読みながら少しずつ外していったのでは……」という意見表明です。実際、クールビズ導入当時に「客先に行く時はネクタイを締める」「社内でもエラい人が外したら外す」といった光景を、この目で見ていました。私の実感としては、たしかに空気を読み合っていたのです。

 これに対して「そういう人がいたというだけ」と、このクソリプ主はすべてを終わらせてしまう。この手の答えをする人間、会話していても面白くないので、この一言が出たら距離を置くようにしています。

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