女子レスリング個人でオリンピック3連覇(2004年・アテネ、2008年・北京、2012年・ロンドン)、個人戦206連勝という輝かしい戦歴を誇り、「霊長類最強女子」の名を馳せた吉田沙保里(40才)は、3人きょうだいの末っ子。レスリングを始めたのは、1985年に父・吉田栄勝さん(享年61)が開いた道場『一志ジュニアレスリング教室』に入ってからだった。2013年に栄勝さんから教室を継いだ次兄・栄利さん(42才)が、妹・沙保里について語る。
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父はぼくと2才上の兄・勝幸(45才)に厳しく指導しましたが、沙保里にレスリングをさせるつもりはなかったそうです。それでも「家族はみんなで同じことに取り組む」という父の考えのもと、沙保里は3才で強制的に道場に入りましたが、あまり練習はせず、母のひざの上に座って見ていました。
沙保里は5才のとき、初めて試合に出て負けたんです。勝った子が首から金メダルをぶら下げているのを見て、「あれがほしい!」と泣いたものの、父から「金メダルはスーパーで売ってない。頑張って練習をして強くなった子、勝った子しかもらえない」と言われ、そこから本気で練習に取り組むようになりました。
私もレスリング選手として、中・高時代に全国制覇をしましたが、オリンピック出場の夢はかなわず、吉田家の期待は沙保里に集中していきました。選手として、どんどん強くなっていく沙保里に嫉妬したことはありません。むしろ、「重荷を背負わせて申し訳ない。オリンピック出場に向けてどんどんピリピリしていく家族の空気をどうやって和ませたらよいのか」と思っていました。
2003年当時、日本女子レスリングには山本聖子さん(現・ダルビッシュ聖子)というチャンピオンがいて、沙保里は海外では勝てても、国内では勝てない時期が続きました。あちらもレスリング一家ですから、あの頃は山本家と吉田家の戦いのような気持ちでしたね。
全日本女子レスリングの代表は毎年、新潟県十日町市の「桜花レスリング道場」で合宿をしていたので、選考に関する連絡があるたびに、三重県にある自宅道場から車を飛ばし、父と一緒に駆けつけたものです。
合宿中の沙保里をサポートすることはできないけれど、応援に駆けつける父を車中で寝かせ、万全の体調で沙保里に向き合わせてあげる。それが私たちの役割だったと思っています。