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実兄から見た出川哲郎の半生 今でも守り続ける母からの教え「やりたいことはブレずにやり続けろ」

「かながわ名産展」(2018年)で店頭販売を行う出川哲郎(右)と兄・雄一郎さん(「ヨコハマグッズ 横濱001」Facebookより)

「かながわ名産展」(2018年)で店頭販売を行う出川哲郎(右)と兄・雄一郎さん(「ヨコハマグッズ 横濱001」Facebookより)

 テレビやCMなどに引っ張りだこの出川哲朗(59才)。3人きょうだいの末っ子で、実家は神奈川県横浜市にある明治27年創業ののり問屋「蔦金商店」だ。出川はブレークするまでどんな道を歩んだのか。「小柄でかわいい顔をしていたから、幼い頃からみんなにかわいがられていましたよ」と、少年時代の写真を手に取りながら、は店先で目を細めたのは、同店の5代目社長で長兄の出川雄一郎さん。雄一郎さんが、弟・哲朗の幼少期から現在に至るまでを語ってくれた。

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 女性セブンから取材っていうから、「哲朗が何かやらかしたのか」とびっくりしたよ。でも、スキャンダルじゃなかったから、安心しました(笑い)。私が長男で3つ下に妹の峰子、その1学年下が哲朗です。子供の頃は、「お姉たん、お姉たん」と峰子にべったりの甘えん坊でしたね。

 店の配送車で幼稚園の送り迎えをしてもらっていたのですが、車を降りてから園の入り口まで、ちょっとした坂を歩いて上らなきゃいけなかったんです。それがかったるかったのか、「お姉たん、おんぶ!」と言って、哲朗はいつも峰子におんぶさせて、坂を上らせていました。

 哲朗は本当にちっちゃくて、峰子とは1才差なのに頭ひとつ分も身長が違うんですよ。私とは年が5才離れていたので、一緒に遊んだというよりはもっぱら私がからかって怒らせて、それでもムキになって向かってくるところが、けなげでかわいかったですねぇ。

矢沢永吉『成りあがり』を読んで一念発起

 私自身は幼少期から家を継ぐことを決めていましたから、高校卒業後、東京ののり店に修業に出ました。哲朗も「兄貴と一緒にのり屋をやる」と思っていたようです。ところが、3代目社長だった父がサイドビジネスに手を出して多額の借金を抱えてしまい、倒産の危機に陥ったんです。私は東京から呼び戻され、今後についての親族会議が開かれました。で、当時高校3年生だった哲朗の進路の話になったら、「ぼくは外に出て働く」と言うんです。それで、親戚に頼んで京都の名料亭を紹介してもらいました。

 ところが、料亭側としても完全な素人を受け入れることはできないということで、まずは修行をしてこいと、滋賀県の「月心寺」という尼寺に行くことになったんです。

〈出川が修行した臨済宗系の「瑞米山 月心寺」(滋賀県大津市)は当時、二代目庵主の村瀬明道尼氏が作る精進料理が有名だった。出川は住み込みで、昼は精進料理修行、それが終わると寺の掃除や体の不自由な庵主のお世話をした。月に何日かの休みには小遣いをもらって一日中映画を見たり、京都の太秦撮影所に遊びに行ったりしていたという〉

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