「1億円を突破すると、その後は複利が効いてどんどん膨らむ」と語る上岡氏
大学時代に『笑っていいとも!』や『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』など人気テレビ番組の放送作家をしていた上岡正明氏。50歳になる現在は、広告やイベントのコンサルティング会社を経営する傍ら、脳科学者でもあり、30万人の登録者を持つYouTuberでもある。「投資は大学生の頃に放送作家で稼いだお金で始めた」という投資歴は27年になる。
「放送作家って、儲かったんですよ。当時は1番組で6万~8万円くらいもらえて、7番組くらい持っていたから月に50万円以上になりました。学生のバイトとしては破格で、そのまま大学を中退して専業になる人も多かったですね。同じ事務所の先輩たちがみんな、稼いだお金で投資を始めていて、『放送作家なんて“ミズモノ”だから、お前もやったほうがいいよ』と勧められたのがきっかけですね。ネット証券のサービスが始まって話題にもなっていたので、私も手元にあった200万円で投資を始めました」(以下、「」内コメントは上岡氏)
信用取引の“2階建て”で2000万円が吹っ飛んだ
テレビ業界の景気が悪くなって徐々に予算がつかなくなり、仕事が減ってきた時期でもあったという。だから、なおさら投資でお金を増やしたいと考えたという。200万円を元手に、「1998年頃、FX(外国為替証拠金取引)と株式投資の二刀流で始めました」と話す。
「だけど、FXはすぐにやめました。朝起きたら強制ロスカットになっていたということもありましたが、FXは専業になってPCにへばりついていないと勝てないと思ったからです。株式投資一本に変えて、個人投資家のバイブルと言われた月刊誌『投資手帖』を読みながら、村田製作所や帝人といった優良銘柄、オールド銘柄を買っていました。
2000年頃からITバブルが始まり、私はIT株にはあまり手を出しませんでしたが、放送作家の先輩たちはみな、ひたすらライブドアを追いかけていました。なので2006年のライブドアショックを境に市場から退場していきました。当時は中国株ブームでもあったので、中国株と日本株の両方で投資をしていました。株式市場全体が盛り上がっていた時期なので、けっこうな利益が出て、資産は2000万円くらいになっていました」
ITバブルの崩壊時は軽傷ですみ、資産は順調に膨らんでいた。しかし、その後にやってきたのが2008年のリーマンショックだった。
「今まで経験したことのない大暴落でした。当時は儲かっていたので調子に乗っていたのでしょう、現物とレバレッジかけた信用取引の“2階建て”で(現物株を保有した状態で、同じ銘柄を信用取引で購入すること。非常にハイリスク)、維持率70%くらいでトレードしていた(株価が少し下がっただけでも追い証が発生しやすい状態)。そのため追い証が2回発生して、500万円くらい入金することになりました。2000万円の資産が吹っ飛んで、ここで振り出しに戻った感じです」