フリーライターの鈴木智彦氏
2015年8月の山口組分裂抗争の勃発からちょうど10年が過ぎた。今年4月には抗争の「終結宣言」が出されたと大きな注目を集めた。構成員の数は減っているが、今なお暴力団組織の存在が社会的関心事となることは少なくない。では、そもそもヤクザとは何なのか、職業と呼べるモノなのか、どうやって生活しているのか。溝口敦氏との共著『職業としてのヤクザ』(小学館新書)があるフリーライターの鈴木智彦氏が、そうした疑問に答える。(溝口敦/鈴木智彦・著『職業としてのヤクザ』より一部抜粋・再構成)
* * *
暴力団を専門に扱う『実話時代』という月刊誌編集部に在籍していたころ、編集業務に加えて原稿も書くようになり、「ヤクザは職業ではない。生き方だ」というパワー・ワードを多用しました。その割にヤクザは事務所を持っているし、看板を使って稼ぐので矛盾するのですが、ヤクザの自尊心をいたくくすぐるらしいのです。
読者を酔わせるセンテンスでもありました。私が編集長となった『実話時代BULL』はクロスワード・パズルの懸賞が読者アンケートの釣り餌です。
「解答の他に、今月の本誌でおもしろかったものを二つ、順番に、また、感想も忘れずお書き下さい」
と注釈があるので、みなハガキに気に入った企画を書いてきます。このパワー・ワードを使うと、決まってトップを勝ち取れました。決め台詞は誰が言ったかも重要なので、ぬかりなく現役のヤクザの口を借りました。何度使っても効果が目減りしないので、他のライターが担当するインタビュー原稿でも、編集方針としてそう言わせるように指示します。金で動かず、道理で引かず、命の殺り合いになっても男を曲げない……美学の実践こそヤクザの道を極める“極道”だと匂わせ、浪漫を呼び起こすわけです。娯楽としてのヤクザ読み物はファンタジーなのです。
作家・子母澤寛は「やくざものは面白ければいい」と断言しています。当時はまだ、子母澤の価値観がかろうじて社会に通用した時代です。ヤクザは嫌われ、恐れられてはいても、同時に愛すべき隣人でした。
極東会(新宿歌舞伎町に本部を置く指定暴力団)の大派閥である眞誠会には『限りなき前進』という機関誌の編集をしていた親分がいて、よく訪問しました。本部のあるビルはパン屋さんの組合が大家さんです。試食品なのでしょうか、事務所に原稿を持っていくと、ときどき焼きたてパンのいい香りがする。牧歌的で、今風に言うならエモい光景のおかげで、脳内でしっかりパンとヤクザが紐付けられました。今も運転中にパン工場のそばを通りかかると、その匂いで組員や親分を思い出します。
暴力団の時価総額を決めるもの
ヤクザは職業ではない……そういっても一面の正しさはあります。一般人の多くは誤解しています。暴力団は、犯罪を直接の業務にする組織ではないのです。会社のように利益を生み出すために一丸となって分業し、活動していません。そもそも組織に金を払っても、金はもらえません。
ヤクザの明確な組織犯罪は抗争です。直接利益を生み出さず、命さえ失いかねないマイナスのイベントですが、格闘技のファイト・マネーのごとく、その際のパフォーマンスによって格付けされます。よく戦えばファイト・マネーも上がるし、弱ければ堅気になるしかありません。山口組が日本最大の暴力団になったのは、過去、山口組がもっともたくさん殺し合ったからです。殺し殺された命の蓄積が、暴力団の時価総額なのです。
ヤクザを象徴する商売道具は、ドスとチャカでしょう。これ以上殺傷能力の高い武器は、刑が重くなるため、原則、使えません。手榴弾は7~8万円程度で安く入手でき殺傷力も高いのですが、巻き添え被害が予想され、死刑になる可能性が高いので無用の長物です。ヤクザは建前上、疑似血縁制度を使い、親と子の関係を模倣しているので、「殺してこい」と命令できても、「死んでこい」「死刑になってこい」とは言えないのです。福岡県で手榴弾を見つけて届けると報奨金がもらえるようになったのは、抗争で使えず、燃えないゴミにも出せないので、困り果てたヤクザが捨てるのでしょう。
ドスは正式な日本刀とは違い、鍔がないので斬り合いには向かず、裏社会の代名詞たる業物でした。刀剣に遠く及ばず、言ってみれば大きな包丁です。ヤクザに剣術の心得はいらず、不意をついて刺す程度の切れ味があれば事足ります。一番の目的は相手を脅すためで、脅すが転じてドスの名前となりました。
現在、ヤクザが“道具”という隠語を使えば拳銃を意味します。ドスにとって代わったのはより脅しが利くからであり、確実に殺せるからです。道具を使って行う“仕事”は、当然、人間の殺傷以外にありません。人殺しは確かに、職業とは呼べません。