東宝の組織としての強さ
私は映画業界に入って10年目くらいに東宝の担当にもなったので、記者の間で“お役所”と揶揄されるほどしっかりした東宝の組織としての強さを近くで感じることができました。
私が映画業界に入った1990年代後半から2000年代初頭くらいまでは、松竹、東宝、東映の宣伝部には業界記者は自由に出入りでき、定期的な情報交換のような場と時間も設けられていました。しかし、情報管理やコンプライアンスが強化されるとセキュリティも厳しくなり、ふらっと宣伝部に立ち寄って出入りできなくなりました。
東宝は業界紙記者への対応もしっかりとしていて、情報管理も徹底されていきました。宣伝部長や取締役にインタビューしても、公開されている情報以外に新しいネタにつながるような不用意な発言はまずありません。映画調整から営業、配給宣伝まで、会社として各部の管理が統制されていたこと、社員の人柄や社内の雰囲気、また不動産という経営基盤があったことも“お役所”のようにしっかりしているという印象を与えていたのだと思います。
創業者・小林一三氏の孫で、1977年から1995年まで社長を務められた松岡功さんに初めてお会いした時はそのオーラに圧倒されました。
石田敏彦社長、高井英幸社長、島谷能成社長(現会長)とバトンが受け継がれ、現在の松岡宏泰社長は松岡功さんの長男、元プロテニスプレイヤーで解説者としても活躍されている松岡修造さんのお兄さんです。現在専務の市川南さんには映画調整部長時代から東宝の宣伝や作品作り、番組編成などについて話を聞かせてもらいました。
2024年の邦画の興収トップ10のうち東宝配給作品(SPE共同配給含む)が8本を占めました。ここまでの一強状態は産業のバランス的には健全ではないとも言えます。しかし、特に2000年以降、東宝が時代の変化に合わせながらそれだけの企業努力を積み重ねてきた結果ということです。松竹、東映をはじめ他社も努力をしていますので、東宝がこの好調をキープしつつ、近い数字で競争し合う状態になり、洋画の興行も復活してくれば、映画人口と年間興収の増加が期待できます。
※和田隆著『映画ビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)より一部抜粋して再構成。
【プロフィール】
和田隆(わだ・たかし)/映画ジャーナリスト、プロデューサー。1974年東京生まれ。1997年に文化通信社に入社し、映画業界紙の記者として17年間、取材を重ね、記事を執筆。邦画と洋画、メジャーとインディーズなどの社長や役員、製作プロデューサー、宣伝・営業部、さらに業界団体などに取材し、映画業界の表と裏を見てきた。現在は映画の情報サイト「映画 .com」の記者のひとりとして、ニュースや映画評論などを発信するとともに、映画のプロデュースも手掛ける。プロデュース作品に『死んだ目をした少年』『ポエトリーエンジェル』『踊ってミタ』などがある。田辺・弁慶映画祭の特別審査員、京都映画企画市の審査員も務める。