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【全国のシェア70%】独自の進化を遂げた日本のプラモデル、静岡にメーカーが集中している理由 ルーツである「木製模型」の頃からあった厳しい模型道

子供から大人まで、プラモデル作りにハマる人は多い

子供から大人まで、プラモデル作りにハマる人は多い

 成長目覚ましい日本のコンテンツ産業。マーケティング企業「ヒューマンメディア株式会社」によると、2024年の市場規模は前年比3.9%増の14兆9003億円で過去最大を記録。昨年12月には高市政権が支援強化を掲げ、前年度から倍増の550億円を超える予算を確保したことを発表。国内市場はもとより、海外展開により注力することを表明した。

「コンテンツ」の定義は幅広いが、近年特に注目されているのがマンガやアニメ、ゲームなどの「エンタメIP」だ。いまや日本発のIPが世界的な流行を牽引しているといっても過言ではない。

 特に戦後から1970年代までの日本は、アメリカに追いつき追い越せと邁進し、一過性にとどまらない“定番商品”を生み出してきた。その1つである「プラモデル」は、1979年に放送された『機動戦士ガンダム』の隆盛とともに大きな人気を獲得し、40年以上コアなファンを虜にし続けている。プラモデルの誕生と繁栄の歴史について、元KADOKAWA社長・佐藤辰男氏による著書『エンタメ(IP)100年史 創業者のエウレカ、継承者の転換』より、一部抜粋・再構成して紹介する。

木製模型からプラモデルへ

 プラスチックモデルの成り立ちに触れておきたい。アメリカ製プラモデルが、日本に盛んに輸入されるようになったのは1950年代半ばで、その出現にたちまち窮地に追い込まれたのが、静岡に集中していた木製模型の製造業者たちだった。この人たちがこぞってプラモデルの製造に転向したため、静岡がプラモデルの聖地となった。木材加工の盛んな静岡で、ありていに言えばその木っ端を加工して木製模型を作っていた人々が、静岡をプラモの地に変えた。

 ちなみに、日本で最初の国産品プラモデルは、マルサン商店が1958年に発売した『ノーチラス号』(アメリカの原子力潜水艦)だと言われている。マルサン商店は隅田川の西側の製問のメンバーで、プラモデル専業ではなく海外の流行に敏感に反応した商社だ。そんな会社がプラモデルを大々的に宣伝して普及させようとした。『ウルトラマン』ブームに乗ってソフビ怪獣をヒットさせたのもこの会社で、浮沈激しく1968年に倒産してしまった。

 田宮模型(現・タミヤ)の2代目社長・田宮俊作の著書『田宮模型の仕事』(文藝春秋)の冒頭には「日本の模型メーカーは静岡県に集中している。これは木製模型のころに確立された。もともと木曽材の集散地であったため、木工業が発達しており、家具、ピアノ、雛具(興味深いのでネットで検索してみてほしい)、下駄などが盛んにつくられていた。木製模型に取ってかわって各社がプラモデルを手掛けた結果、静岡は田宮模型のほかにフジミ模型、長谷川製作所、アオシマ文化教材社、イマイなどがある。いまやプラモデルは静岡の地場産業のひとつであり、現在、模型の全国シェアの70パーセントが静岡のメーカーで占められている」

 とある。この文章でピンとこない人は多いだろう。木製の飛行機や艦船模型は、戦中まで学校教材だった。ぼくの時代でも副教材扱いだったから、昔の子どもは木製模型を盛んに作ったのだ。小学校の購買部(懐かしい響き!)でも、駄菓子屋でも木製模型を売っていて、ぼくも作った。だけど木製模型はすごく扱いが難しかった。

 飛行機の翼は竹ひごをろうそくの炎であぶりながら少しずつ曲げるのだけれど、これが難しい。焦がすか、折るかしてしまう。設計図には「このように曲げなさい」という図が示されているのだが、そのように曲げられないのだ。できた翼に紙を貼るのもひと苦労だった。艦船のボディはバルサ材を貼り合わせるのだけれど、これがすぐ割れたり欠けたりする。

 模型好きの作家・稲垣足穂は木製模型の艦船を作っていて、仕上げで錨の穴の錆の感じが塗料ではどうしても表現できない。たまたま指の先を小刀かなんかで切ってしまい、思いたって血を穴の下にこすりつけたてみたら、バルサ材がほどよく血を吸い意中の表現ができたと、何かで書いていた。ぼくはそれを読んで、模型道は厳しいと、子ども心に感心したものだ。

 木製模型は厄介だった。だからアメリカからプラスチックモデルというものが入ってくると、その精度の高さや組み立てやすさから、たちまち木製模型は駆逐されてしまったのだ。

 ぼくは静岡県の富士市の出身だけれど、近くに湖月堂という模型店があって、その店にアメリカのレベル社の飛行機やデフォルメされたおばけ自動車のプラモデルが入荷されたのをありありと覚えている。

 店主のおじさんが作った見本がピカピカに輝いていた。「これはかなわない」と木製模型屋さんは思っただろう。

 かくして日本の木製模型メーカーはこぞってプラモデルメーカーに転向し、その結果プラモデルが静岡の地場産業になっていった――というわけだ。

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