独立後を含め、のべ2000人以上の転職支援に携わった森本千賀子氏
なぜ、リクルート出身者は会社を離れても活躍できるのか。morich社長で“転職の女神”として知られる森本千賀子さんの話から見えてくるのは、周囲の知恵を結集し、仲間の持ち味を引き出す仕事の進め方だ。その背景には、創業者・江副浩正が育んだ独特の企業文化があった。森本さんが自身の進路に悩んだとき、江副から受け取った人生を変える助言とは。育児に奔走した日々や起業への決断もたどりながら、組織の外でも通用する力と、自分に合った道を見つけるヒントを語った。『起業の天才!――江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(新潮文庫)の著者でジャーナリストの大西康之氏によるインタビュー。(文中敬称略)【インタビュー・後編】
「君のところに森本という子がいるだろう」
――森本さんの入社は1993年で、リクルート事件後。すでに創業者の江副浩正さんは会社の役職を離れていましたが、なぜかご縁があったとか。
森本:はい。入社3年目のことです。当時、リクルート人材センターの本社は、新橋にある通称「Nビル」にありました。ある土曜日、忘れ物を取りに会社へ行ったところ、エレベーターで偶然、本物の江副さんに遭遇したんです。「江副育英会(現・江副記念リクルート財団)」の事務所が、同じビルにあったんですね。私はとっさに名刺を差し出し、ご挨拶しました。
すると翌月曜日、江副さんからリクルート人材センターの社長に、「君のところに森本という子がいるだろう。頼みたいことがあるから、昼食に誘ってもいいか」と電話が入ったんです。
当日、社長と二人で外で待っていると、黒塗りのハイヤーが現れました。ところが江副さんは、「用があるのは森本さんだから、君はいいよ」と社長を帰してしまい、二人で隠れ家的な銀座の料亭へ行くことになりました。
ひとしきり、江副さんのリクルートの創業背景や経営哲学などを伺い、時計を見ると3~4時間経過していたのを覚えています。最後に、ようやく本題に入りました。江副さんは当時、「スペースデザイン」という不動産開発のベンチャーを立ち上げていて、「採用を手伝ってほしい」というご相談でした。リクルート人材センターとして正式に仕事をお受けし、採用を支援するようになりました。それをきっかけに、江副さんにはよく食事へ連れていっていただきました。
仕事も子育ても「両取り」を実践
江副から出された宿題
森本:そんなある日、上司から異動の内示を受けました。それまで担当していた流通・小売・外食業界から、インターネットベンチャーなどの「ニュービジネス」領域への異動です。

