島田亨氏のビジネスの原点はどこにあるのか(2012年撮影)
楽天グループ元副社長であり、現在はベンチャー投資家として第一線で活躍する島田亨氏(61)。日本の若手起業家たちから「兄貴」と慕われる同氏には、もう一つの顔がある。それが、リクルートの社員時代に、U-NEXT HOLDINGS宇野康秀社長CEO(62)とともに、人材サービス大手「インテリジェンス(現パーソルキャリア)」を立ち上げた“創業メンバー”としての素顔だ。
空前の就活売り手市場だったバブル期、電通や日本IBMの内定を蹴ってまで、なぜリクルートを選んだのか? 「1人採用に1000万円」とも言われた狂乱の採用活動の裏側から、若き日の宇野氏との運命的な出会い、そしてリクルート事件直後の逆境からの起業秘話までを、『起業の天才!――江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』(新潮文庫)の著者でジャーナリストの大西康之氏が話を聞いた。【インタビュー・前編】
「自分で商売をやる」と決めていた
日本の若い起業家に「兄貴」と慕われているのが、U-NEXT創業者の宇野康秀氏と、ベンチャー投資家で元楽天グループ副社長の島田亨氏だ。リクルート・グループに入社して出会った二人は、半年後の1989年に人材サービスのインテリジェンスを立ち上げ、その後も盟友関係が続いている。
――島田さんが新卒でリクルートに入ったのは1987年。バブル景気の真っ只中で、圧倒的な売り手市場でした。引く手数多の中でリクルートを選んだ理由を教えてください。
島田:中学、高校と家庭の経済事情が厳しかった経験から、高校2年の時には「自分で商売をやろう」と決めていました。アルバイトの毎日で受験勉強をする間もなく、結局入れた大学は二流の大学だったので、「一旦就職をするにしても自分にはハンデがある」と自覚していました。そこで皆よりも1年早い大学3年の春から就職活動を始めました。
就活を始めるにあたっては、まず「企業の採用情報が集まる場所はどこか?」と考えました。そこで3年生の春からリクルートでアルバイトを始めました。銀座8丁目の本社ビルで、新卒採用向けの広告事業のお手伝いです。
リクルートという会社は「こいつは使える」と見るとアルバイトにも正社員並みの仕事を任せるので、しばらくすると広告のコピーライターと直接やり取りする制作ディレクターみたいな仕事を任されて、いつの間にかめちゃくちゃ働いていました。
――「情報収集」のつもりで入ったのに。
島田:働いて成果を出すと、また新しい仕事が来て、アルバイトのくせに「仕事の報酬は仕事」なんて正社員と同じ「リクルート語」を使って「自走」――これもリクルート語ですね――していました。情報収集の甲斐もあり、4年の夏には電通、日本IBM、CSK(現SCSK)から内定をもらいました。
――電通や日本IBMを蹴ってリクルートへ。なぜですか。
島田:最初に言ったように、「自分で商売をやる」と決めていたので、「就社(生涯をその会社に捧げる)」するつもりはなくて、「一緒に事業をやる仲間を見つけにいく」目的でした。同じような考え方をする同期や先輩が多いのが当時のリクルートでした。
――リクルートの学生囲い込みは相当なものだったと聞いています。
島田:実にはっきりしていて、どうしても採用したい東大、東工大(現東京科学大学)、京大の学生にはマンツーマンでリクルーターが張り付き、他社の面接がある時期には海外旅行に連れ出して拘束していました。それほど優秀でない僕らは、まとめて安比高原(リクルートが経営していた岩手県のスキーリゾート)に連れて行かれました。時間を拘束する事を目的として食事に誘われる事も多かったのですが、ご飯がステーキの人たちとスパゲティの人がいて、私はスパゲティ組でした。
