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「100円ショップ」はこうして誕生した “生みの親”が語る原点

盛況ぶりを聞きつけた多くの同業者が見学に

 努力のかいあってか、地元テレビで紹介されると人気が沸騰し、5台分の駐車場に50台以上の車が毎日詰めかけた。何もない田舎町に隣の名古屋からだけでなく、県境を越えて客が押し寄せ、近隣道路は大渋滞。交通整理のため地元警察が出動する騒ぎになったことも。

 移動販売では難しかった陶器や食品、紙類などを取り扱えるようになり、商品のバラエティーがぐんと豊かになる一方、100円を維持するのはひと苦労だった。

「今でこそ海外の安い素材が簡単に手に入りますが、当時は国産の商品が主流で店の棚を埋めるのが大変でした。自ら中国に飛んで安い製品をかき集めたり、紙製品の製造会社をつくって自分で生産したりと試行錯誤を続けましたね」(松林さん)

 その盛況ぶりを聞きつけて、当時は店舗を持たずに車で移動販売をしていた多くの同業者が見学に来た。

「ビシッとスーツを着て、何も買わず、でも真剣な顔つきで商品の陳列棚を見つめていました」(松林さん)

 その中には、ダイソーやセリアの社長の姿もあったという。松林さんの店から、100円ショップのノウハウを学んだダイソーやセリアは相次いで1号店をオープンした。以後ハイペースで出店を続け、現在の繁栄に至る。

 松林さんは100円ショップの“生みの親”となったのだ。

※女性セブン2018年3月29日・4月5日号

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