中川淳一郎のビールと仕事がある幸せ

私の経験した「社畜」生活のリアル 会社に寝泊まり、飲み会終わりの朝焼けに達成感

あの頃は、徹夜で仕事も当たり前だった(イメージ)

 令和の時代に入った。ツイッター上では、平成の有名CMコピー「24時間働けますか」に驚愕する声が出るほか、平成のドラマ『働きマン』と令和のドラマ『わたし、定時で帰ります。』を挙げて「社畜=平成」と「働き方改革・ゆとり=令和」を対比させる画像も出ている。平成時代に広告会社に入社し、「社畜」として働いていたことを自任するフリーライターの中川淳一郎氏が、当時を振り返る。

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 私が会社に入ったのは平成9年(1997年)でした。バブル期は終わり不況の時代に入ってはいたものの、「長時間労働するヤツがエライ!」的雰囲気はまだ残っていました。会社には平成13年(2001年)までの結局4年しかいなかったのですが、今考えても「あの時の社畜っぷりってどうしてあそこまでやれたのだろうか……」と思います。

 私は広告会社の博報堂に入ったのですが、最近も同社の人と仕事をすると明らかに平成10年代と比べて長時間残業は減っているようで、労働時間も短くなっています。電通の過労死事件があったことも影響し、広告業界自体が「働き方改革」を進めていることをひしひしと感じます。

 2001年からフリーランスになり18年が経ちますが、どう考えても労働時間がもっとも長かったのは、会社員時代の2年目~4年目だと断言できます。通常、フリーランスは下請けのため、もっとも長時間の労働を強いられるのかと思いきや、どうも会社という組織にいることが長時間労働の温床であり、それが「社畜」になるのでは……なんてことを今となっては思います。それでは今では考えられない平成の「社畜」エピソードをいくつか紹介します。とにかく残業が多かったのと、今では非常識なことがまかり通っていた感があります。

タバコはどこでも当たり前だった

 会議室には灰皿が設置されており、参加者6人中5人が喫煙者なんてこともザラでした。常に煙幕が張り巡らされており、唯一の非喫煙者である私としてはしんどかったのですが、同席しているのはいずれも年上の皆様方のため、文句を言うことなどできません。1時間半ほどの会議をすると、直径15cmほどの銀色の灰皿は吸殻でいっぱいになっていました。

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