医師の思い込みから死に至ることもあるという(イメージ)
生きている人を診察する医師とは異なり、法医解剖医の仕事は「なぜ死にいたったのか」という問いに答えること。年間300体もの解剖を手掛ける鳥取大学医学部教授で法医解剖医の飯野守男氏(55)は、日々“普通の死”ではない「異状死」の原因を解明すべく奔走している。
そうしたなかには、「こんなことで人は死ぬのか」と驚くような事例に数多く遭遇するという。ちょっとしたきっかけで亡くなってしまったケースや、意外と知られていない亡くなり方、周りの環境から起こってしまった悲しい事例など、その理由はさまざまだ。今回は『法医学教授が教えている 死体の授業』の著者でもある飯野氏が実際に手がけた事例から、日常生活に潜むリスクを紹介する。【法医解剖医が見た「異状死」の現場・全4回の第2回】
「精神疾患」の既往歴で医師が犯した「判断ミス」
食事中に上下両方の入れ歯を飲み込んでしまったという60代の女性が救急病院に運ばれました。救急隊員によって上の入れ歯はすぐに取り出されたのですが、搬送された病院でレントゲンを撮っても、下の入れ歯が見当たらない。診察にあたった医師が女性のカルテをみると、統合失調症という精神疾患の既往歴がありました。そこで医師は、下の入れ歯を飲み込んだというのも、この精神疾患に多い「妄想」だろうと考えてしまいました。
そう見立てた医師は、カルテに「妄想」と記載し、診察を終えて患者を帰宅させました。すると翌日から女性は嘔吐が止まらず、近所のかかりつけ医を受診すると、「感染性胃腸炎」だとして、点滴と風邪薬を処方されましたが、改善しない。再びかかりつけ医を訪れたところ、今度は「原因不明」として大病院への紹介状を渡されたものの、その帰路で女性は倒れ、偶然通りかかった警察官が救急車を呼ぶも、その時点ですでに心肺停止状態でした。
その状態で病院に運び込まれた女性の人工呼吸を試みようとした研修医が喉の奥をのぞいたところ、そこにU字型の「下の入れ歯」がすっぽりはまっているのを発見。すぐに入れ歯をつまみ出しましたが、女性はその翌日に死亡しました。最初に病院へ駆け込んでから5日目のことでした。
解剖してみると、重篤な肺炎を起こしていたことがわかりました。女性は甲状腺腫大(甲状腺が大きい状態)があったことも明らかになり、甲状腺の腫れにより気管が狭くなり、入れ歯が引っ掛かりやすくなっていました。
喉の奥に入れ歯がはまっているので、食べ物は喉を通りません。それでも食べようとした結果、そこから感染が広がり、たまった膿が肺にまで広がったと考えられました。もしくは、食べようとしたものが隙間から気管に入り込み、それを誤嚥して誤嚥性肺炎にいたった可能性もあります。
最初のレントゲン検査で入れ歯がみつからなかったのは、総入れ歯は樹脂のみでできていてX線が透過するため写りにくく、しかも喉の後ろ側には首の骨(頸椎)があるため入れ歯と骨がX線写真で重なってしまい、判断しづらくなっていたのが原因です。さらに女性の甲状腺が通常よりも大きかったことと、精神疾患の既往歴、そして医師の思い込みといった要因が絡まり、医療過誤を引き起こす結果となったのです。
ただし、医師が最初の時点で喉の奥までしっかり診察すれば、目視で入れ歯は見えたはずです。精神疾患という既往歴ゆえに、患者の訴えを「虚言、妄想」として流してしまい、十分な診察を怠ったのが、最大のミスであることは医療従事者が心すべきポイントです。
『法医学教授が教えている 死体の授業』の著者でもある、法医解剖医で鳥取大学医学部教授の飯野守男氏
父を凍死させてしまった息子、娘を放置した母
【著者プロフィール】
飯野守男(いいの・もりお)/鳥取大学医学部法医学分野教授、副学部長。1971年鳥取県米子市生まれ。鳥取大学医学部を卒業後、大阪大学大学院で博士号を取得。京都大学助教、大阪大学講師、ビクトリア法医学研究所(オーストラリア)客員研究員、慶應義塾大学准教授を経て、2015年に現職に就任。医学生向けの死体の講義(法医学の講義、実習)が人気を博している。鳥取県唯一の法医解剖医として、県内の死体検案・解剖を一手に引き受ける傍ら、死後CT診断の第一人者として、オートプシー・イメージング学会副理事長も務める。ドラマ監修やテレビ出演も複数。著書に『死因不明社会2 なぜAiが必要なのか』(講談社刊、海堂尊らと共著)など。単著は『法医学教授が教えている 死体の授業』(飛鳥新社)が初となる。

