“古参”アピするファンのネガティブ発言に嫌気
メーカー勤務の30代男性・Bさんは、アニメやゲーム作品が好きだが、特定の作品の推しをやめた。「SNSでのつながりから離れたかった」と語る。
「作品が好きでも、その界隈の人間関係で嫌いな人がいると、推し活を楽しみづらくなる。当時ハマっていた作品のフォロワーさんで、古参アピールが強めの人が結構いて……。作品内に新メンバーが加入すると、『冷める』『いらない』とネガティブなことを投稿したり、もっと言えば、作品の新シリーズ発表でも文句ばかりなんですよね。わざわざ嫌な気持ちになりたくないので、SNSから離れました」
ただしBさんは「SNSから離れただけで推しへの気持ちが薄れていくということは、そもそもそんなに“推し”でもなかったのかな」とも。とはいえ、自身が積極的にSNSでファンとのつながりをもたなくなった今、「冷静に推しの姿を見ることができるようになった」そうだ。
熱量が違いすぎて中途半端な自分は挫折
推し活仲間との「好き」の方向性や熱量の違いから、オタクをやめることになった人もいる。IT企業勤務の20代女性・Cさんは、「オタクの敵はオタク」と持論を展開する。
「同じ作品が好きでも、作品の楽しみ方や熱量が違うので、真に受けると楽しめなくなってしまうことがあります。他人の意見は気にしない態度に徹することができればいいのですが、目に耳に残ってしまって、作品に触れる度に脳内で再生されてしまうんです。結局、あんなに好きだった作品から次第に離れていきました……」
Cさんは「作品を好きなオタクでいたいなら、誰かともつながらないことが一番かもしれません」と語る。
「アニメ化、映画化、実写化なんてしたら試練の連続ですよ。作画にこだわる人もいれば、ストーリーの伏線や終わり方にうるさい人、声優や俳優のキャスティングに文句をつける人……。キャラ単推し、箱推しかによっても作品の見方や熱量も違ってきますから、私みたいにオタクとしての覚悟が中途半端だとくじけてしまいます。自分には、推し活なんてしてないような顔して、密かに楽しむやり方が向いていると気づきました」(Cさん)
「同担拒否」という言葉もあるように、同じ作品や推しを愛する者同士なら分かり合えるわけではない。それどころか、逆に大きな壁となって立ちはだかることもあるようだ。