「仕返ししてやりたい」という気持ちを強くさせるもの
この私の考えは、単なる憶測に基づくものではない。アキレアス・ブーキス氏らが2019年に発表した論文『顧客からの無礼な態度が第一線の従業員に与える影響と、上司のリーダーシップスタイルの緩和的役割』が、この考えの正当性を裏付けている。この論文は、一流ホテルで働く従業員を対象に、客の失礼な態度が従業員の心や行動にどう影響するかを調べたものである。研究チームは、客の態度を「言葉による攻撃」と「無理な要求」の2種類に分け、どちらが従業員の「仕返ししてやりたい」という気持ちを強くさせるかを調査した。その答えは、はっきりしていた。論文では、以下のように分析されている。
「この研究では、客の2つの異なる態度が従業員の仕返ししたい気持ちにどう影響するかを調べました。一つは、従業員に怒鳴ったり、見下したような言葉をかけたりする『言葉による攻撃』です。もう一つは、どう考えても無理な注文をする『無理な要求』です。従業員に、どちらかの状況を想像してもらい、その後の気持ちを回答してもらったところ、結果に大きな差が出ました。
『言葉による攻撃』を想像した従業員は、仕返ししたい気持ちが平均で3.18点だったのに対し、『無理な要求』を想像した従業員は2.05点でした。この違いは、統計的に見ても意味のある差です。つまり、客からの直接的な暴言は、従業員のプライドを深く傷つけ、強い怒りとなって『仕返ししたい』という気持ちにつながりやすいことがわかります。無理な要求をされるよりも、人格をけなされるような一言の方が、従業員の心に消えない傷を残し、報復感情を燃え上がらせるのです」
上司がサポートすれば解決する問題ではない
この研究が示すのは、従業員に対して絶対にしてはならないことの第1位が、まさに「言葉による攻撃」だという事実である。無理な要求であれば、仕事上のストレスとして何とか乗り越えられるかもしれない。しかし、暴言は従業員の心を直接傷つけ、どんな仕返しをされるかわからない危険な状況を生み出しかねない。
食事の提供は、単なる作業ではない。そこには、料理を作る人や運ぶ人の気持ちが込められている。客としてその点を忘れ、従業員の人としての尊厳を踏みにじるような態度を取ることは、自分自身の安全を危険にさらす行為と同じである。サービスを受ける側には、サービスを提供する側の気持ちを思いやる最低限の義務がある。その義務を果たさなかった時、私たちは目に見えない危険を自ら呼び寄せていることになる。
この論文では、良い上司がいれば問題が解決するのかという点にも触れている。部下を信頼して仕事を任せるタイプの上司は、客からの無理な要求に対しては、従業員の仕返ししたい気持ちを抑えるのに役立った。しかし、客からの暴言に対しては、その効果はほとんど見られなかった。
この事実は、一度深く傷つけられた従業員の心は、会社(店舗)の中のサポートだけでは簡単には癒えないことを示している。客の暴言が与える心の傷は、仕事のミスとは全く違う、個人の尊厳に関わる重大な問題なのである。私たちは客として、自分の言葉がどれほど重いものかを理解し、発言に責任を持つ必要がある。従業員も感情を持った人間であり、機械ではない。この当たり前のことを忘れた瞬間、楽しいはずの食事の時間は、お互いにとって不幸なだけの場所に変わってしまうだろう。
【プロフィール】
小倉健一(おぐら・けんいち)/イトモス研究所所長。1979年生まれ。京都大学経済学部卒業。国会議員秘書を経てプレジデント社へ入社、プレジデント編集部配属。経済誌としては当時最年少でプレジデント編集長就任(2020年1月)。2021年7月に独立して現職。