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ビジネス
職業としてのヤクザ

【溝口敦×鈴木智彦「職業としてのヤクザ」対談】暴力団取材のプロが語り合う「シノギ」とは何か

広域暴力団はシノギの百貨店

溝口:そして、愚連隊的なシノギがその後、すべての広域暴力団のシノギになっていった。全国的に組織を広げている、山口組、稲川会、住吉会あたりを代表とするのが広域暴力団です。広域暴力団というのは、ネームバリューのある組織にくっつけば、シノギがしやすいという理屈で、どんどん小さな組織が吸収されて広域化していくんだけれども、それに伴って、広域暴力団はある種、百貨店になっていくんです。つまり、いろんなシノギをしている組が傘下に入ってくるでしょう。そういう中で、暴力に根付くものなら何でもシノギにすることになる。それは極めて愚連隊的ですね。

鈴木:確かにそうですね。組織の中に博徒もテキ屋も愚連隊もいる。あまりに大きすぎて、百貨店どころか暴力のフランチャイズに近い。

 元々は博徒でも、今は博奕場が経営できないので、博奕専業は、ほぼないと言っていい。山口組は六代目になって、傘下の二次団体に清水次郎長を初代とする清水一家を継承させ、名乗らせましたが、元来、そこは闇金事件で有名になった五菱会です。

溝口:四国の矢嶋組(六代目山口組の二次団体)は博徒系で始まっています。

 ではヤクザの原点は何だったか。江戸末期には、ひとつの町で六~七人の火消しを抱えなくてはいけなくて、そこで集めた若い衆、町奴(町人出身の侠客)みたいな連中をまとめる人がいて、それを「親分」と呼んだわけです。そして親分には、若い衆を抱えていれば町から補助金が出た。親分は火消しだけやっていたわけじゃなくて、町のあちこちに目を光らせて、工事がありそうだと思えばそれを請け負い、解体とか鳶なんかを若い衆にやらせて日銭をピンハネしていた。それと同時に、浅草のような盛り場では、今で言う「みかじめ料」を取ったわけです。

鈴木:当時は「土地が悪いか、ヤクザはいない、町のがえん(臥煙)が風を切る」と唄われたそうです。“がえん”とは火消しの意ですが、後に“ごろつき”を指すようになりました。

溝口:火消しの親分が出てきた江戸時代には、町屋は町屋、侍や旗本もそれぞれ火消し人足を抱えていたでしょう。それぞれ対立したりもしたけど、ほとんどの町では、そこに住む富豪が町奴を支配することが多かった。だけど浅草だけは新門辰五郎という親分が仕切っていた。新門一家というのは今もある。

 その新門辰五郎が浅草寺に露店も立てるし、猿回しとか薬売りから金を取るから経済力があって、商人に頭を下げなかった。それが原型になって、ヤクザ独自のシノギの目処がついてきたのではないでしょうか。

鈴木:土木建築の人足供給業も、ヤクザの原型のひとつです。海運業に労働者周旋していた山口組が、元来、建築業のものだった「組」という名称を使うように、両者は双子のような関係にありました。都市部が拡張されるにつれ、人足供給業はその末端で建築現場を支えた。たくさんの労働者が必要になり、人足の親玉たちは、働き手を集めるため、なぐさみに博奕を開帳した。博徒とのハイブリッドになっていった。土建業にヤクザが多かったのはこのためです。

【プロフィール】
溝口敦(みぞぐち・あつし)/1942年東京都生まれ。早稲田大学政経学部卒業。ノンフィクション作家。『食肉の帝王』で2004年に講談社ノンフィクション賞を受賞。主な著書に『暴力団』『山口組三国志 織田絆誠という男』など。

鈴木智彦(すずき・ともひこ)/1966年、北海道生まれ。日本大学藝術学部写真学科除籍。ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代BULL』編集長を務めたのち、フリーに。著書に『サカナとヤクザ 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(小学館)などがある。8月22日19時から、マネーポストWEB「プレミアム会員限定」ライブ動画配信『《司忍組長の内部資料も公開》ヤクザとマネー~最強組織・山口組のビジネスモデル~』に登場予定。

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