中川淳一郎のビールと仕事がある幸せ

借金踏み倒しで破壊される人間関係、貸す側の怒りの内情

 そして、今のSNS全盛時代、借金をした人物が「予約が取れない寿司店・○○の絶品コースに舌鼓」なんてことを平気でFacebookやツイッターに書いてしまう。これを見た時、カネを貸した側がどう考えるかということに、彼らは思いが及ばない。せめて、SNSに人生のことを書くのであれば、日々金策に駆けずり回っている様を見せ、節約をしているところを見せてほしいわけです。

なぜカネを貸した人間が「忖度」しなければならないのか

 カネというものは、その人間の専門性と時間を「労働」という作業に落とし込み、苦行をやりつつ得るもの。それなのに借金を依頼してくる者は、「平身低頭して、時には泣き喚く」というラクな作業をするだけで大金をGETできるのでした。そこで得た原資を基に、当面の危機は回避し、後は追い立てが厳しくなければのうのうとSNSに美味なるものを公開し続け、「いいね!」をもらうことに邁進する。

 となれば貸した側は「さっさと返してくれ」と思うものの「家のローンがある」やら「娘が大学に進学した」などと言い出す。だったらお前は家を売れ、娘の大学はオレにとって知ったこっちゃない……と言いたくなりますが、「生活があるからな……」「そんなに追い立てては可哀想だな」とグッとこらえることになるわけです。

 なんで、カネを貸した人間がここまで「忖度(そんたく)」をし、配慮をしなくてはいけないのかよく分からないのですが、カネを借りる人間というのはとにかく泣き落としが上手で、自分勝手。その振る舞いが結局は縁を切られ、悪評を撒き散らかされる、ということになるのですが、それを理解していないわけです。

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