筆者が車に乗せてもらったお礼に渡した魚
それだけのコストをかけて私を運んでくれるわけで、いかにしてお礼をするかを気にかけなければならない。お礼を口にするのは当然のことながら、たとえばいつも釣りに連れて行ってくれる人には、東京・築地でよく切れる出刃包丁を買ってきてプレゼントしました。魚が好きな人の場合は、釣った魚はきちんとウロコ・内臓を処理したうえで、渡すようにしています。当然、型の良いものしか渡しません。
音楽ライブ等に一緒に行く場合は、その人のドリンクが空になったら追加のドリンクを買って渡す。もちろん、駐車場を使う場合はその料金は私が支払う。正直、それでもまだ厚意に甘えている気がします。私はそれだけの恩恵を受けていると感じるのです。
当たり前のように他人に運転させてよいのか?
かつて、私の母親は、自宅の裏に住む高齢女性を病院に車で送迎していました。困っていたので厚意で手助けをしてあげたのですが、以来、週に3回、当たり前のように母に運転をさせていました。それでいて女性は母に何も感謝をしない。
私など「そんなヤツを送ってやる必要はない。タクシー呼べばいいだろ!」とキレていたのですが母は「お隣さんだから……」と言うだけで当人に不平不満を言うことなくその女性を送り迎えしていた。
運転ができない人は運転できる人に甘えて当然、という考えをこの高齢女性は持っていたのではないか、と推測します。その後、女性は亡くなりましたが、母親は心底ストレスから解放されたように見えました。
この時、運転できない人は、運転してくれる人に対して最大限の感謝をするべきだな、と痛感しました。今、地方生活を満喫できているのは、こうした運転できる方のお陰だと日々感じています。とにかく、地方で車を持たない生活をするには、自分が他人に甘えているという自覚を持つことが大事です。
【プロフィール】
中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう):1973年生まれ。ネットニュース編集者、ライター。一橋大学卒業後、大手広告会社に入社。企業のPR業務などに携わり2001年に退社。その後は多くのニュースサイトにネットニュース編集者として関わり、2020年8月をもってセミリタイア。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)、『縁の切り方』(小学館新書)など。最新刊は稲熊均氏との共著『ウソは真実の6倍の速さで拡散する』(中日新聞社)。
