前の時代を生きた人々の匂いがある
木棚上段にはオールドやリザーブといったウイスキーが並ぶ
店内には、古い木造家屋独特の、人をほっとさせるような匂いがある。私は団地生まれで木造家屋の古い家で育った経験がないのだが、なぜか、懐かしいような気分になる。
まず、缶酎ハイをいただくことにしよう。門司港レトロの旅取材で初めて門司港へ来たときには、この小さな酒屋さんを知る由もなかった。もし仮に店の存在を知っていたとしても、表通りを歩きながらこの細い路地を入って「魚住」の看板を見つけることができたかどうか。それくらい、さり気ない店なのだ。
今のご主人は、この店の3代目にあたる。挨拶をし、その昔、ここを訪れ、記事を書いたことがあるいう話をした。そのときお話を聞いたのは、今のご主人のお母さんだ。
栄町にあった戦前の店舗の写真がある。樽を荷車に積んだ何人もの従業員さんが並んで写っている。立派な酒屋さんだ。その後、昭和20年の1月に空襲で町中が焼かれることを食い止めるために、何軒もの家が間引きされ、強制的に移転された。そのとき「魚住商店」は現在の場所に移って来た。今のご主人は私と同い年、ということが話すうちにわかって、時代の遠近感がしっくりくるような感じがした。
もちろん焼酎や日本酒もある
ここは、古い店だが、私が子供の頃に想像した、さらに前の時代を生きた人々の匂いを、今に留めている。カウンターが面している棚、バーで言うところのバックバーに、剣菱があり、サントリーオールドがある。どちらも、私の父が好んだ酒だ。
この世には、いろんな旅酒があり、いろんな昼酒がある。北九州・門司港「魚住酒店」の昼酒は、20年、30年という歳月を一気にひき戻して、私を心地いい郷愁に導いた。私は、ここで飲んだ2本の缶酎ハイを、とてもうまいと感じた。そして店を出ると、外はまだ昼間だ。門司港駅の先はすぐに港である。船に乗って20分で下関の唐戸に着く。関門海峡の風に吹かれて山口県へ渡り、そこで1杯やり、日が暮れたならば今度は鉄道で関門海峡を渡り、小倉で飲むとするか……。
旅の昼酒。また、楽しからずや。
渋い外観もまた歴史を感じさせる(「魚住酒店」福岡県北九州市門司区清滝4-2-35)
【プロフィール】
大竹聡(おおたけ・さとし)/1963年東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒。出版社、広告会社、編集プロダクション勤務などを経てフリーライターに。酒好きに絶大な人気を誇った伝説のミニコミ誌「酒とつまみ」創刊編集長。『中央線で行く 東京横断ホッピーマラソン』『下町酒場ぶらりぶらり』『愛と追憶のレモンサワー』『五〇年酒場へ行こう』など著書多数。「週刊ポスト」の人気連載「酒でも呑むか」をまとめた『ずぶ六の四季』や、最新刊『酒場とコロナ』が好評発売中。


