葬送の在り方も時代に合わせて変わっていく(写真:イメージマート)
人が死ねば葬儀を執り行い、荼毘に付して、墓に埋葬するのが日本では当たり前だが、今では墓が庶民の生活に重くのしかかっている。墓を継ぐ人がいない、遠方の墓参りは負担が大きい、離檀料が高い…何かと悩みは多いが、『無縁仏でいい、という選択』(幻冬舎新書)を上梓した宗教学者の島田裕巳氏が提唱する「負担を減らす葬送」とは──。【全3回の第3回】
「0葬」の実現
私はかねてから「0葬」という概念を提唱している。0葬とは、火葬された遺骨を一切引き取らないことを言う。そうすれば墓を建てる必要もない。関西ではこれに近いことが実践されている。各宗派の総本山にある納骨のための施設に遺骨を収める「本山納骨」という制度がそれだ。
関西圏は遺骨を引き取る量が関東圏の3分の1程度と、もともと少ない。これを小さな骨壺に納めて、例えば浄土真宗であれば、京都の大谷本廟に持っていく。場合によるが、数万円で引き取ってもらえる。関東圏でも、早くこういったシステムができてくれないかと私は願っている。
遺骨を焼き切るサービスを提供する火葬場もあるらしい。遺骨の処理という難題から解放される、これこそ究極の0葬である。また、遺骨を粉々に粉砕して海などに撒く、「散骨」も選択肢のひとつだろう。
そもそも、私は「死」に意味を持たせすぎることに疑問を感じている。死に意味を与えるのは本人ではなく、後世の人間だ。本人にはどうしようもない。野垂れ死にしようが、古墳のような墓に葬られようが、二度と生き返るわけではない。
自分の死に意味を求めたいのであれば、医療機関への献体という方法もあるが、研究で使われたあとは2~3年で遺骨が遺族の元に戻ってくる。医療機関側が提携する永代供養墓などがあれば、そちらに納めてもらうことも考慮する必要があるだろう。
2023年に総務省が発表した統計によると、東京都特別区を除いた全国市町村が管理する公営墓地のうち、約6割の自治体が「無縁墓がある」と回答している。この数は年々増加の傾向だ。葬送の在り方もまた、時代に合わせて形が変わるのは自然なことなのではないか。(談)
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※週刊ポスト2026年1月30日号
