豊臣秀吉を敬愛したサントリーの創業者・鳥井信治郎氏
NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』が好評だ。これまでも秀吉の立身出世の物語は多くの人の心を掴んできたが、とりわけこの偉人に魅入られたのが大阪出身の著名経営者たちだという。『大阪人はなぜ太閤さんが好きなのか』(講談社+α新書)を上梓した在阪のジャーナリスト・竹中明洋氏が大阪財界人の知られざる「秀吉信奉」を追った。【前後編の前編】
大阪のまちをつくった恩人にして派手好きコテコテ大阪人の元祖
大阪城の人気がすごい。昨年度、大阪城天守閣の入館者数は過去最高の281万人に上り、名古屋城や姫路城といった名だたる城を抑えて全国で最も多くの人が訪れた城となった。
ゴールデンウィークの大型連休中に様子をのぞいてみると、本丸の広場には天守閣への入場の順番待ちで長い行列ができていた。大阪城が人気なのは、この城が戦国時代きっての英雄である豊臣秀吉によって建てられたところも大きいだろう。今年は秀吉と弟の秀長を主人公とするNHKの大河ドラマ『豊臣兄弟!』が放映され、話題となっている。
秀吉が築城を始めたのは、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破り、本能寺の変で倒れた織田信長の後継レースを制した直後だ。天下人の居城にふさわしい巨大な城とすべく本丸から二の丸、三の丸に加えて城下町の整備も進めた。
豪壮な城を築き大阪のまちをつくった恩人であるだけでなく、派手好きのコテコテな大阪人の元祖のような存在が秀吉なのである。
江戸時代、公然と敬うことは御法度とされたが、大坂の町人たちの間で秀吉は裸一貫から権力の頂点に登り詰めた立身出世の神のように慕われ、それは明治維新後も受け継がれた。
例えば大阪で大手農業機械メーカーのヤンマーを創業した山岡孫吉は、明治36年、数えで16歳のときに生まれ故郷の滋賀県北部の寒村を飛び出し、琵琶湖を渡る船を待つ間に易者に占ってもらったことをこう回想している。
〈手相を見てもらうと「これはいい手相だ。太閤はんと同じだ。太閤秀吉は左手の中央の線が中指までずっと上がっていたが、お前のもそうなっている」とほめてくれる。これから大阪へ行くのだというと「それはますます結構だ。太閤はんは大阪で大きなお城を築いたが、お前も大阪へ行ったらきっと出世する」とえらい力の入れようだ。当たるも八卦、当たらぬも八卦とはいうが、このときはうれしかった〉(『私の履歴書 経済人4』)
明治時代の野心あふれる若者たちは秀吉のように出世すると言われることで身を奮い立たせた。
江戸時代、全国の米の集積地として「天下の台所」と呼ばれた大阪は、明治時代になると繊維や金属加工、機械などの新たな産業が興り工業都市として生まれ変わる。西日本だけでなく海を超えて朝鮮や沖縄からも多くの労働力が流れ込み拡大の一途を遂げた。大正14年には人口が東京を上回り日本最大の都市となった。「大大阪時代」の到来である。
この時代の大阪では、全国の私鉄経営のモデルを構築した阪急電鉄の小林一三をはじめ急拡大する都市人口にうまく対応した経営者が続々と登場する。そのひとりが新たな飲酒文化を広めたサントリーの創業者・鳥井信治郎だ。
