教育の専門家は「呼称変更だけでは、親子の不安は解消されない」
教育の専門家は、こうした呼称の変化をどう捉えているのか。不登校や若者の移行過程を研究している、都内の大学教員・Cさん(男性/50代)は、新たな呼称を生み出すことの意義を認めつつも、慎重な見方を示している。
「不登校という言葉には、“学校に行っていない状態”を基準として、そこからの逸脱として捉える響きがあります。その意味で、ユニパスのように、一人ひとりの学びや生き方を肯定する言葉を用いる試みには意義があると思いますし、今のリベラルな風潮にも適っています。子ども本人が“不登校の子”として自己否定を深めないためにも、言葉を変えること自体は、けっして無意味ではありません」(Cさん)
その反面、言葉が前向きになるほどに、保護者の不安が語りにくくなる側面もあると強調する。
「社会が“不登校も一つの選択”“無理して学校に行かなくてもいい”と語ることは重要です。ただ、それが保護者にとっては“学校に行ってほしいと願う自分が間違っているのではないか?”という別のプレッシャーになることがある。
親は子どもを責めたいわけではなく、子どもの将来の選択肢が狭まることや、家庭内の負担を心配しているわけです。そこを無視して、肯定的な言葉だけを広げてしまうと、今度は家族全体が精神的に孤立してしまうリスクも出てきます」(同前)
Cさんは、不登校というネガティブなレッテルを剥がすためには、制度面の改革が欠かせないと話す。
「呼び名を変えたところで、受験、内申点、出席日数、就職時の経歴評価などが従来のままであれば、保護者が不安を抱くのは当然です。学校外の学びをどう評価するのか、空白期間をどう受け止めるのか。そうした制度面の変化が伴って初めて、“新しい呼称”が意味を持ってくるはずです」(同前)
「不登校」を別の言葉で呼び直す動きは、子どもの多様な生き方を否定しない社会をつくるための一歩と言えるかもしれない。だが、呼び名が変わっても、本人や家族の不安が消えるわけではない。言葉の更新だけで終わることなく、学校以外での学びを支える制度や、保護者が孤立しない相談体制の整備も必要不可欠ということだろう。