ライフ

資産38億円から生活保護に転落した男性はどう復活したのか

 バブル景気の追い風に乗った彼は、35歳で、破たんした会社を整理する会社を起業した。会社を整理しながら、土地や建物を売る不動産業も行い、利益を上げるようにした。借金もあったが、資産は38億円にもなった。

 でも、どうして屈辱的な土下座も、平気でできたのだろう。それを理解するには、彼の生い立ちに触れなければならない。

 並木さんは、脊髄分裂症という先天性の障害をもっていた。そのために歩行障害があり、脚をひきずって歩く。排せつ障害もある。おむつが必要で、小学校時代などは、「クラスの仲間の前で、下痢を起こしてしまったらどうしよう」と、いつも冷や冷やしていたという。

 父親は、小学校5年のときに他界。母子家庭の貧しい暮らしのなかで、母親に連れられて通院を続けてきた。つらい思い出なのだろうと思ったら、「おいしいものを食べさせてもらえたので、痛い治療も忘れた」とあっけらかんと言う。

人間は自分の行いに救われることがある

 ぼくの好きな作家フランツ・カフカは絶望名人だ。彼はラブレターにこんなことを書いている。

「未来に向かって歩くことはぼくにはできません。将来に向かってつまずくことはできます。いちばんうまくできるのは倒れたままでいることです」

 並木さんは、カフカとは違って、楽観的に生き抜こうとする。次々と困難が押し寄せ、絶望するひまがなかったのかもしれない。というのも、35歳で起業した直後、彼は膀胱がんになる。それをはじまりに、肝臓がん、皮膚がん、前立腺がん、白血病と、5つのがんに襲われることになるのだ。

 治療を受けながら仕事を続けていたが、40歳のとき、白血病になって決断を迫られた。主治医から会社運営は無理といわれ、会社を閉じざるを得なくなったのだ。

 3億4000万円で買った物件を、1500万円で売るというような悔しい思いをしながら、あっという間に丸裸になってしまった。会社整理のプロが、自分の会社を破たんさせてしまう立場になるとは、何とも皮肉である。

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。