中川淳一郎のビールと仕事がある幸せ

日本が中国を見下していた頃も中国はそれなりに凄かった

2005年当時の中国・大連のビーチ。まだフェイスマスクをしている人は見かけなかった

 今では中国は世界2位の経済大国として大きな存在感を見せているが、少し前までは「人口だけはものすごく多い発展途上国」という印象を持っていた人も少なくないだろう。2000年代初頭の頃までは、ネットもマスコミも、中国を日本の“一段下”に見る風潮があった。では、当時の中国の実態はどんなものだったのか。2005年に中国・遼寧省の大連を取材したネットニュース編集者の中川淳一郎氏が当時の様子を振り返る。

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 昨今「日本は中国に追い抜かれた」的な言説もよく聞くようになりましたが、まぁ、そこまで自信を失わないでいいでしょう。しかし、2000年代初頭の中国の扱いについては、テレビのワイドショーを筆頭に「パクリ大国」的な扱いと不衛生の文脈のものばかりでした。ネットもマスコミも、中国を見下すべき対象として見ていたように思います。

 では、当時の中国はそんなにヒドい国だったのでしょうか。私は2005年に大連に行ったのですが、正直、トイレを除き、完全に進んでいたと思います。バカにするレベルではありませんでした。そして人々は親切でしたし、向上心があり、特に「反日」の感じはありませんでした。まぁ、この頃はサッカーのアジア大会(2004年)で日本代表が大ブーイングをくらったりした後なので、こちらもビクビクしながら行ったのですが、嫌がらせを受けたりすることは一切ありませんでした。

 この時は、PCメーカー・日本HPのコールセンターが大連にできたため、その取材に行ったのです。当時はDELLも大連にコールセンターを作り、増える日本のパソコン需要に応えようとしていました。

 元々中国といえば、格闘ゲーム『ストリートファイターII』に出てくる風景のように、自転車がそこらへんを行き交っているというイメージがありました。或いは横並びになった自転車が大量に走りだしたり……。しかし、行ってみると案外欧州車は多いですし、日本車も多い。自転車だらけということもありませんでした。

 当時、日本HPは人件費の安さと中国人労働者の優秀さから大連を選んだと言っていました。また、ITと中国語というこれから伸びる分野を学びたいと考える社員も獲得したいという意向があり、その実態を私は取材させてもらったのです。実際、当地を案内してくれた中国人の社員は実に丁寧で日本語も上手でした。そして、当地で働く日本人も、向学心を持った人々ばかりでした。

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