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ベイスターズの集客を倍増させたDeNA社長が描く「横浜の街の未来像」

熱心なベイスターズファンも増え、球場来場者数も大幅増(C)YTB

熱心なベイスターズファンも増え、球場来場者数も大幅増(C)YDB

 モバイルゲームの草分けで、横浜DeNAベイスターズの親会社でもあるディー・エヌ・エー(以下DeNA)。南場智子会長が創業者の同社で、今年4月社長に就任したのが総務省出身の岡村信悟氏(51)だ。同氏の経営戦略はゲーム事業にとどまらず、「街づくり」を視野に置いているという。

──平成元年(1989年)当時は何をされていましたか?

岡村:平成元年は東京大学(文科III類)に入学した年ですね。中国の小説家・魯迅に惚れ込み、彼の作品を貪り読んでいましたし、この年に起こった天安門事件にも大きな衝撃を受けました。「中国史の研究者になりたい」と、3年時から文学部で東洋史学を学んだんです。

 そのまま大学院の修士課程に進学したのですが、一方で「自分は学者向きではない」という気持ちも大きくなってきた。

 学者は自分の世界に没頭し、着実に研究成果を積み上げていくことが仕事です。しかし私は、人と関わることが好きだし、チームで物事を進めるほうが自己献身的に頑張ることができるタイプなんじゃないかと思い始めたんです。

 そこで国家公務員試験を受け、郵政省(現・総務省)に入省しました。中国の官僚登用制度の「科挙」のようで興味がありましたし、中国では詩人が役人になったり、イギリスでもオックスフォード大学で歴史や哲学を専攻していた人が役人になるケースが少なからずあった―と自分を納得させましたね。

──総務省ではどんな仕事を?

岡村:地域通信振興課で沖縄の振興事業に取り組んだり、大阪府箕面市に出向して市の企画部長のような役職を務めたこともありました。総務省に戻ってからは、第一次安倍内閣で世耕弘成補佐官のスタッフとして官邸に入りました。

 DeNA創業者で会長の南場智子と出会ったのは2008年、総合通信基盤局の消費者行政課で課長補佐をしていた時期でした。当時はソーシャルゲームが社会問題化しており、私は青少年インターネット環境整備法の取りまとめに関わりました。その過程で南場と知り合い、DeNAに誘われるようになったのです。

──以来、7年越しで口説かれ続けたそうですね。

岡村:当時の私は、企業で利益を追求するより、もっと公共性がある事業に関わりたいと考えていました。熱心に誘われたのは有り難かったのですが、転職にはどうしても踏ん切りがつきませんでした。

 ですがある時、役所の人間関係で腹が立つことがあって、それまでずっと保留にしていた「転職を考えてもいい」という旨の南場宛てのメールを勢いで送信してしまった。すると南場からすぐに「会いましょう」という返信が来て、ルビコン川を渡ってしまったという感じで入社を決めました。それが2015年秋のことでした。

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