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『鎌倉殿』時代の日本経済 「全国規模の貨幣流通」はどう実現したか?

日本に輸入され流通した宋銭。中国の改元のたびに新鋳されたという

日本に輸入され流通した宋銭。中国の改元のたびに新鋳されたという

 のちの鎌倉幕府執権・北条義時が主人公のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13 人』。物語は、伊豆に流されていた源頼朝が坂東武者の力を借りて挙兵、平家に戦いを挑む序盤から、「源平合戦」のクライマックスへと進んでいる。実はこの時代は、日本の「貨幣経済」に変化があった時期でもあった。歴史作家の島崎晋氏が、作品の舞台である12〜13世紀日本の知られざる通貨事情を紹介する。

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『鎌倉殿の13人』が好調をキープしている。東国で源頼朝(大泉洋)や北条時宗(坂東弥十郎)、北条義時(小栗旬)が急速に勢力を拡大させるなか、都では後白河法皇(西田敏行)と平家の総帥・平清盛(松平健)が火花を散らしていたが、治承5年(1181年)、その清盛も熱病に罹り死亡した(3 月20日放送の第11回)。今回の清盛も強い印象を残したが、鎌倉側がメインの物語上、清盛について詳しく描かれなかった側面がある。

 それについて詳しかったのが、2012年度のNHK大河『平清盛』だった。視聴率の点では苦戦を強いられながら、終わってみれば名作との評価も高い同作品のなかで、主人公の平清盛(松山ケンイチ)は幾度となく「武士の世」を力説するかたわら、師と仰ぐ信西=高階通憲(阿部サダヲ)の影響もあって、早くから宋銭に着目していた。

 宋銭とは中国・宋王朝で製造された銅貨のこと。日本でも7世紀末から国産化の試みが繰り返されるが、技術的な問題からどれも基軸通貨になるには至らず、平安時代末期になっても米や絹布が通貨の代わりとして流通していた。

 しかし、米や布では大量に持ち運ぶのが難しく、運搬中に風雨にさらされれば価値が減じてしまうことがある。一方、偽造が困難な良質な銅貨なら持ち運びもしやすく、納税や商取引の手間と労力を大幅に減らせることができる。宋銭が大量に流通するようになれば、経済と社会の両面で革命的な変化が期待できた。

 当時、日本と宋のあいだに国交は結ばれていなかったため、のちの室町時代(の日明貿易)とは異なり、貿易は民間商人の手でのみ行われた。博多には現在でいうチャイナタウンがあり、宋商人の所有する大型船(唐船)が東シナ海を盛んに往来していた。

 実はそれまで、銅銭は積み荷を安定させる保護材にすぎなかった。しかし、銅銭自体の価値に気づいた清盛は、外交と貿易の出先機関である大宰府(九州)の実権を握るとともに、銅銭を正規の貿易品目の中に加えた。

 さらに清盛は日宋貿易の窓口である博多から都に通じる「瀬戸内航路」の確保にも乗り出す。兵庫港の前身にあたる大輪田泊の入り口に強風や荒波から港を守る人工の島を築いたのも、港の後背地にあたる福原の開発に着手したのも、すべては平氏一門の繁栄のため。宋銭を広く普及させながら、日宋貿易を独占支配したことで、清盛の夢は現実のものと化した。

──以上の展開は、まるで歴史的な事実であるかのように、NHK大河『平清盛』に限らず、過去のドラマや小説で踏襲されてきた(『鎌倉殿の13人』でも、宋との交易品を手に満足そうに振る舞う清盛が描かれた)。アカデミズムの世界も似たような状況だったが、平成年間、史料の精査が進められるなかで、従来説を真っ向から否定する声が出てきた。

 

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