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『鎌倉殿』時代のインフラ整備 神社仏閣が並ぶ景観は日中貿易により保たれた

2022年5月2日 15:00 マネーポストWEB

源頼朝ゆかりの鶴岡八幡宮(時事通信フォト)
源頼朝ゆかりの鶴岡八幡宮(時事通信フォト)

 三谷幸喜脚本のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が人気を博している。ドラマでは源平の戦いがクライマックスを迎え、源氏の棟梁・源頼朝が名実ともに権力を握る時が近づいている。頼朝が開いた幕府の根拠地・鎌倉(神奈川県)は現在も古都として観光客で賑わうが、実はその景観は中国との貿易により維持されてきた側面があるという。歴史作家の島崎晋氏が解説する。

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 一般的なイメージとして、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての「源平時代」を担った源氏と平氏は対照的に捉えられがちだ。西国を基盤とし、海外や地域間の交易をベースにして富を築いた平氏政権に対し、坂東(現在の関東地方)を基盤とし、農業を経済の基礎にした鎌倉幕府。あるいは、大陸文化と貴族文化で自己を飾った平氏政権に対し、武士が中心の鎌倉幕府は質実剛健。しかし、実際は鎌倉幕府も海運の重要性をしっかり認識し、日宋貿易によって栄えていた。

 例えば、平清盛が福原に大輪田泊(のちの兵庫港)を整備させたように、鎌倉幕府も現在の材木座海岸に「和賀江」という港を建設し、海上交通の拠点を設けた(現存)。発起人は往阿弥陀仏という勧進上人(諸国を巡り、仏教の布教と同時に、寺院や仏像、橋などの造立に必要な資金などを調達していた僧侶)で、建設の認可を与えたのは執権の北条泰時(『鎌倉殿の13人』の主人公・北条義時の嫡男)である。

 当時、鎌倉の海岸は遠浅のため、船荷の上げ下ろしに不便なうえ、風浪が高いときには停泊中の船が流される被害も多かった。そこで往阿弥陀仏が石積みの人工島の建設を願い出て、幕府の認可を得ると、泰時の重臣・平盛綱を監督としてわずか1か月弱で完成させたという。「和賀江」は東国における海の玄関口として栄え、1259年に極楽寺(鎌倉市。開基は義時の三男重時)が創建されてからは、管理と運営が同寺に委ねられた。

 幕府の置かれた鎌倉では源頼朝の入府直後から御所や御家人たちの屋敷、一般家屋の建設が急ピッチで進められ、人口希薄な町がわずか十年ばかりで、「小京都」と呼ぶにふさわしい景観に変貌を遂げた。一方、人と建物が密になれば、火災や地震、台風などの自然災害に見舞われる件数も増える。どの寺社も、頻繁に修復の必要に迫られた。

 そうした際に、通常経費で賄えない費用の調達を目的に仕立てられたのが、「寺社造営料唐船」だった。これは、鎌倉幕府公認の臨時貿易船である。

 史料の上ではっきり確認できるものとしては、1325年夏に出航、翌年夏に帰国した「建長寺船」が挙げられる。往路については筑前国の御家人たちに、帰路については薩摩国の御家人たちに同船の警固命令が出たと伝えられており、海賊による襲撃や乗員の不正など、人為的な損失を警戒していたことがうかがえる。

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