NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、大泉洋演じる源頼朝が亡くなった。歴史作家の島崎晋氏は、史実にもある「御家人同士の権力争い」がどう描かれるかに注目しているという。実は、小栗旬演じる主人公・北条義時の北条氏は、他の御家人に比べて当初は劣勢だったという。それをどのように跳ね返したのか。島崎氏が綴る。
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NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の第26回「悲しむ前に」(7月3日放送)で、源頼朝(大泉洋)が帰らぬ人となった。劇中、頼朝の後継者(嫡男の頼家か、異母弟の阿野全成か)を巡り、早くも不協和音が生じたが、次回の第27回「鎌倉殿と13人」(7月17放送)からは、御家人同士の潰し合いが始まる。
史実に従えば、以降は梶原景時(中村獅童)、全成(新納慎也)、比企能員(佐藤二朗)、仁田忠常(高岸宏行)、源頼家(金子大地)の順に退場者が続出する。
昨日の友が今日の敵と、猫の目のように敵味方が変わる油断のならない状況が続くわけだが、ここでは一連の潰し合いを通じて、北条氏が生き延びられた理由に注目したい。
ドラマ中での北条氏の主な顔触れは、当主の時政(坂東彌十郎)と時政の妻りく(宮沢りえ)、時政の長女にして頼朝の未亡人、頼家の生母でもある政子(小池栄子)、時政の次男・義時、次女で全成の妻・実衣(宮沢エマ)からなる。
源頼朝の舅である関係上、時政は頼朝の旗揚げ時に主力を務めるが、その後は目立った軍功が見当たらない。伊豆・駿河の2か国の守護に任じられたことを除けば、頼朝時代を通じて官位官職を付与されことも、幕府の要職につくこともなかった。姻戚という“太い”関係にあることから、時政は公的な職につく必要を感じず、頼朝の側でも他の御家人たちの手前、北条氏の登用を意図的に避けたとも考えられる。
当時の倣いとして、時政は娘たちを東国の御家人や京都の有力貴族に嫁がせることで、華麗な閨閥を築きあげていた。が、頼みが姻戚関係だけではさすがに心もとない。
頼朝の死により頼家が擁立され、比企能員が新たな「鎌倉殿」の舅となると、時政も生き残り策を講じる必要に迫られた。頼家の後継者として能員の娘が産んだ一幡が擁立され、能員が3代鎌倉殿の外祖父になれば手遅れになりかねない。新体制が確立するより前に、時政には然るべき官職と幕府の役職に就く必要があったのである。