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【大河ドラマが10倍面白くなる】紫式部の父・藤原為時はなぜ「式部丞」職にこだわったのか?「平安貴族の就職事情」を探る

中小貴族には「荘園の代官」という就職先も

 式部丞も受領も1年に一度、3日がかりで実施される除目(じもく:天皇臨席の任官行事)での審議と採択を経て補任される職だが、「実入り」を第一とする中小貴族には除目を経る必要のない、もう一つのルートあった。預所(あずかりどころ)がそれである。

 預所は単に預(あずかり)とも呼ばれる。大貴族や大寺社からなる荘園の所有者(本所)の代官として現地へ赴き、荘園の運営を統括する役人のことで、任免権は本所にあった。税を納める相手が異なるだけで、仕事内容と役得の仕組みは受領とほぼいっしょ。受領には及ばないとしても実入りはよく、(本所と主従関係になることを厭わないのであれば)つなぎとしては申し分のない役職だった。

 為時は968年に播磨権少掾に補任されており、掾(じょう)とは守(かみ)、介(すけ)に次ぐ国司の三等官。まひろの誕生は、為時がその4年の任期を終えた前後と推測される。

 これ以降、なかなか官職にありつけなかったのは、式部丞への執着が強すぎたからか。自己推薦書での希望の役職が式部丞の一択であるなど、少なくとも『光る君へ』第1回の描写から想像すると、その心情は次のようなものではなかったか。

──都の最高学府で優秀な成績を収めた自分に地方勤務は相応しくない。持てる才能を最大限に活かせる役所は式部省を置いて他にない。たとえ実入りがどんなによくても、受領や預所ではプライドが許さない──

 東宮が即位して花山天皇となると、為時はようやく待望の式部丞に補任される。しかし、藤原兼家の策謀により花山天皇が退位・出家させられると、為時も失職。それからまたしても長い失業生活に入るが、その時期の為時は、受領への補任を切に願っていた。生活困窮に耐えられなくなったか、実際に働いてみて式部省での仕事に幻滅を感じたのか、それとも他の理由からか。

 まひろは母の復讐を果たせるのか、安倍晴明と直接の絡みがあるのかどうかも注目したいが、為時の心境の変化についても、『光る君へ』がどのように描いていくのか楽しみである。

【プロフィール】
島崎晋(しまざき・すすむ)/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。『ざんねんな日本史』、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』など著書多数。近刊に『featuring満州アヘンスクワッド 昔々アヘンでできたクレイジィな国がありました』(共著)、『イッキにわかる!国際情勢 もし世界が193人の学校だったら』などがある。

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