キャリア

「病気や天候で休んだことはありません」勤続50年のヤクルトレディに密着 「一人暮らしの高齢のお宅には必ず声をかける」安否確認も

ヤクルトレディとして50年働き続ける小野寺光子さん(81=左)と國分芳美さん(78)

ヤクルトレディとして50年働き続ける小野寺光子さん(81=左)と國分芳美さん(78)

 2019年の発売直後から注文が殺到し大ヒット商品となったYakult1000の快進撃は、誕生から60周年を迎えたヤクルトレディ制度が支えていた。全国3万人のヤクルトレディの中でも、半世紀を超えて携わる北国のベテラン2人に密着した。

 小野寺光子さん(81)は20代後半から約50年間、気仙沼市内で商品を届け続けている。

「私の家に宅配で来ていた方が引っ越すことになり、誘われたのがきっかけです。当時はヤクルトとジョアの2種類だけでしたが、昭和50年以降はミルミルなど徐々に商品が増え、今は数えきれないほど種類が多くなりましたね」

同僚やその子供たちと談笑する小野寺光子さん(右から2人目)。「仕事は命。生涯現役です」=宮城県気仙沼市

同僚やその子供たちと談笑する小野寺光子さん(右から2人目)。「仕事は命。生涯現役です」=宮城県気仙沼市

昭和49(1974)年のヤクルト全国大会で、模範となるヤクルトレディを表彰する代田賞を受賞。右は創始者の医学博士・代田稔氏

昭和49(1974)年のヤクルト全国大会で、模範となるヤクルトレディを表彰する代田賞を受賞。右は創始者の医学博士・代田稔氏

 朝8時すぎに制服姿でセンターに到着。自家用車に商品を積んで準備を整え、朝礼を終えると宅配先へ出発する。

「元気に挨拶することを心がけています。商品全部の特長を憶え、体調を相談されると『こんなものもあるんだよ』とおすすめしたり、パンフレットやサンプルを持っていったりします。お客様には健康でいてほしい。お客様が元気でないと寂しいですから」

 定期的に届ける商品とは別に、急に「あの商品も買いたい」と言われる時に備え、宅配鞄には商品を余分に入れている。その重い鞄を持ち、軽やかに市役所の階段を何度も昇り降りし、息も乱さず、スピーディーに廊下を歩く姿に驚かされる。アスリートのような機敏さだ。

「元気の源は仕事。お客様に感謝です。いまだかつて病気や天候で休んだことはないですね。昔は土日も仕事で息子たちが手伝ってくれた思い出も。自転車をこぐのも楽しかった。半世紀で一番つらかったのは震災の時だね……」

3.11で被災した気仙沼中央公民館は現在の場所に移転・新築し、2021年に開館。「いい天気ですね!」と元気に声をかける

3.11で被災した気仙沼中央公民館は現在の場所に移転・新築し、2021年に開館。「いい天気ですね!」と元気に声をかける

車から降りると、訪問先に届ける商品を保冷ケースから取り出す。仕分けの準備は前日午後に行なう

車から降りると、訪問先に届ける商品を保冷ケースから取り出す。仕分けの準備は前日午後に行なう

 津波で仲間が亡くなり、約40年担当していた気仙沼湾近くの家や会社、店舗は流された。

「センターが再開できたのは3か月後。その間は、被災直後から倉庫の商品をトラックで避難所に届けていました」

 大部分の担当場所を失った小野寺さんは、新しい担当エリアで宅配を再開。津波被害を受けた地域が復興していくと、新たな顧客も増えた。津波で全壊した「すがとよ酒店」を再建した女将の菅原文子さんは「お互いに頑張ろうねって、ヤクルトを介して元気をいただいています」と話す。

庁舎が分かれている気仙沼市役所の各部署を約1時間かけて歩き届ける。約半世紀、市役所を担当

庁舎が分かれている気仙沼市役所の各部署を約1時間かけて歩き届ける。約半世紀、市役所を担当

次のページ:「一人暮らしの高齢の方のお宅には、1本ずつお届けし、必ず声をかけます」

注目TOPIC

当サイトに記載されている内容はあくまでも投資の参考にしていただくためのものであり、実際の投資にあたっては読者ご自身の判断と責任において行って下さいますよう、お願い致します。 当サイトの掲載情報は細心の注意を払っておりますが、記載される全ての情報の正確性を保証するものではありません。万が一、トラブル等の損失が被っても損害等の保証は一切行っておりませんので、予めご了承下さい。