小林一三の投資によるリターンは数字で表わし切れないレベルに
芸術・芸能への投資という観点に立てば、明治以降の実業家で最も成功を収めたのは小林一三であったと断言してもよいだろう。失敗の穴埋めに始まりながら、大衆芸術路線に貫かれた新たな娯楽をうみだしたのだから。令和の世では、宝塚は歌舞伎と並ぶ舞台芸術の柱と化しており、波及効果まで加味すれば、小林の投資により生じたリターンは、数字で表わし切れないレベルに達している。
ところで、津金澤前掲書は小林の成功パターンを「宝塚戦略」と命名した。戦略が「独創的」と称される以上は、時と場合により鍵となるアイテムは代わる。少女歌劇はあくまで大正時代の日本にマッチすると判断されたがゆえの選択にすぎなかったのだろう。
津金澤前掲書は小林について次にようにも評している。
〈小林一三の現実主義、生活合理主義は、常に未来志向をもっているところに特徴がある。本質的には保守主義的といえるが、現状を絶えず点検し、これで良いのかと常識や習俗を疑い、そこに問題を発見すれば、次に来るものは何か、と立ち向かう〉
このタイプの人間が投資のリターンを実感するのは、数字に表われた結果はもちろん、自分の予測が大筋当たり、修正すべき点が明確になった時ではなかろうか。人間とは往々にして、ゴールを切った瞬間より、ゴールを視野に捉えた時のほうが興奮するもの。小林のような人物にとってゴールインは、1つの区切りであると同時に、新たな目標へのスタートラインである。独創性は一朝一夕に身に着くものではなく、スタートとゴール、失敗と成功の積み重ねが不可欠。小林にとって挑戦の機会をより多く与えられることこそが、最大のリターンであったかもしれない。
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【プロフィール】
島崎晋(しまざき・すすむ)/1963年、東京生まれ。歴史作家。立教大学文学部史学科卒。旅行代理店勤務、歴史雑誌の編集を経て現在は作家として活動している。『ざんねんな日本史』、『いっきにわかる! 世界史のミカタ』など著書多数。近著に『呪術の世界史』などがある。