芸能界から引退状態の板東英二(2010年撮影)
プロ野球のスター選手は高収入として知られるが、皆が皆そういうわけではない。そうした中で異色の活躍で、高収入を手にしたのが板東英二(85)だ。最近は表舞台に出ることはなくなったが、プロ野球引退後にタレントに転身して成功した先駆者と言えるだろう。その異色のキャリアとマネー人生を振り返る。【前後編の前編】
5月24日、平成を代表する人気クイズ番組『マジカル頭脳パワー!!』(日本テレビ系)が23年ぶりに放送された。同番組は連想ゲームである『マジカルバナナ』などを流行させ、1996年5月2日には最高視聴率31.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した。
今回の『マジカル頭脳パワー!!2025』の司会者は、山里亮太と永井美奈子アナが務めた。永井はレギュラー放送時代も担当していたが、もう1人のMCだった板東は姿を見せなかった。現在の板東はどのような状況なのか。
「板東さんはコロナ禍の2020年夏に自宅の近所で転倒して頭を打ち、入院しました。それから、5年近くもメディアには出てきていません。事実上、芸能界から引退したと言っていい。ただ、テレビやラジオだけでなく、副業でも稼いできましたし、お金に困ることはないでしょう」(芸能記者)
2000万円という当時としては破格の契約金で中日入りを決めた板東英二
王貞治を超える破格の契約金で中日入り
板東は1958年、徳島商業のエースとして夏の甲子園に出場。決勝戦で涙を飲んだが、1大会で83奪三振をマーク。2006年、早稲田実業の斎藤佑樹投手が78奪三振と迫ったが、板東には届かなかった。近年、高校野球の投手分業制が進んでおり、永遠に破られそうにない大記録となっている。
ドラフト制度のない当時、同年春のセンバツで優勝投手になった王貞治は早稲田実業から巨人へ入団。のちの“世界のホームラン王”の契約金は1800万円だったが、中日ドラゴンズを選んだ板東の契約金は2000万円だった。
「当時、大卒の初任給が1万3000円程度で、総理大臣の月給は15万円でした。国鉄(現・JR)の最低運賃は10円です。いかに板東さんの契約金が破格かわかるでしょう。それくらい将来を嘱望されるピッチャーだったのです」(スポーツライター)
甲子園での連投で肩を痛めていた板東は、プロでは期待されたほどの数字は上げられなかった。とはいえ、2桁勝利を5度も上げており、救援投手につく「セーブ」の記録がない時代、リリーフ投手として活躍。“8時半の男”と呼ばれた巨人の宮田征典と並び、板東を“元祖・抑えの切り札”とする向きもある。